天気のことではなくて、慣用句的に、明日は嵐になるのかなと…。
まあいい年をしているので
「道理の通らぬものは存在すら出来ない」
「間違ったことは正すべき」
などといったピューリタンのような言葉は吐きませんが、やっぱり
「無理が通るところには無理強いをする」
という姿勢には我慢がならんのです。人の善意を逆手にとって、あれもこれもとねじ込まれても困るんです。
「相手の事を考えて」
という自分の事しか考えない人はキライなのです。
そういうのって自分だけかなと思っていましたが、これが結構いらっしゃるようで、随分と沢山の人から異議申し立てがあった模様。
何を申したいのかというと、私は今鬱憤が溜まっているのです。それを明日いよいよ吐き出すのです。随分溜めていましたから、きっとすごいのが吐き出されるでしょうけれど、吐き出す先は元々汚れているので、お構い無しでいけるのです。
話は変わるのですが、全然変わるのですが、日本人の「負け方」特に集団になった近代日本人の負け方というのは、どうしてこう進歩がないのかと思います。
目に見えずとも肌で感じるヒエラルキーが確固として確立されており、声の大きい人間が上に立つ。下々に課せられるハードルは高い。
「お前がそれを飛び越えられないのは鍛錬が足らないからだ、精神がなっていないのだ、私が出来てお前が出来ないはずはない」
と精神論。私が出来て貴方が出来ない事、貴方が出来て私が出来ない事、多々ありましょうに。出来る時と出来ない時、その時々があるでしょうに。
「無理が通るところには無理強いをする」
というのは、些か切ないものです。そうして無理がたたって集団は崩れていくのです、霧散してしまうのです。
本当に尊敬できる人は、こういう言葉を吐きます。
「やってみせ 言って聞かせて させて見せ ほめてやらねば 人は動かじ」
だから
「やりもせず 言って丸投げ させて見せ ほめもせずとは 人は動かじ」
なのです。なになに。
「苦しいこともあるだろう 言い度いこともあるだろう 不満なこともあるだろう 腹の立つこともあるだろう 泣き度いこともあるだろう これらをじっとこらえてゆくのが 男の修行である」
ああ、御大将、誠に失礼いたしました。
0 件のコメント :
コメントを投稿