3/18/2005

平和な世界でサッカーを。

 私が小さな頃、近所にいた高校生のお兄ちゃんはすごく大人だと感じていた。高校生になると、大学生は大人だな、と思うようになった。大学を卒業する頃には社会で働いている人は大人だと思っていた。

 でも今年30になる私は、昔抱いていた「大人像」とはかけ離れたところにいる。「大人」ってのはもう少ししっかりとしたバランス感覚と強い倫理観を持って行動しているものとばかり思っていたのだが、どうやらそういう人達ばかりではないらしい。それどころか、そんなものなど持ち合わせていないまま生きてきた人達の方が大多数のようだ。おかげで私はあまり恥ずかしい目にあわずにすんできた。


 ところがあまりに安穏としていたツケがまわって来るかも知れない。例の人権擁護法案というやつだ。私自身虚学に身を置いていたので、隅々まで把握出来るわけではないのだけれども、理解できる骨子だけでも十分に薄ら寒い法案だということが判る。私が判るのだから、恐らく殆どの人にもご理解頂けると思う。

 まとめサイトが有るので、もし未見の方は一度目を通される事をお奨めする。そこに書かれていることは、一見馬鹿馬鹿しいフィクションのようだが、立派な国会議員の方達や法務省の官僚の皆々様が英知を込めて作られた、現実にある立派な法案なのだ。


人権擁護(言論弾圧)法案反対!
http://blog.livedoor.jp/no_gestapo/



 仮に法案が通ったところで、法案を作成した者や、その法案の恩恵に与る者達が思い描いたような世界には、恐らくなりはしないだろう。それこそ幼稚な考えというものだ。かつて彼らがそうしたように、法案によって封殺しようとしている人々もまた、身を隠し、力を蓄え、抗い続けるだろう事は、容易に想像がつく。日本は今よりずっと物騒な国になるだろう。


 私が一番心配しているのは、この二つの力の間で、多くの罪無き人々が傷つき、打ちひしがれてしまうのではないかという事だ。

 言い忘れてしまったけれど、私は人種差別主義者ではない。多分他の日本人より外国籍の知人友人は多いだろう。コリアタウンに行けば、顔を見ただけで「おーっ」と言って笑顔で話しかけてくるオモニ達が沢山いる。私もオモニ達が好きだ。

 しかしもしこの法案が可決されたら、私はいつものようにオモニ達に気軽に話しかける事が出来るのだろうか。オモニ達は私に笑いかけてくれるだろうか。多くの人々にすれば、オモニ達は敵対勢力以外の何者でもないだろう。この法案で恩恵を受けるのは、実にほんの僅かな人々だけなのだ。


 「彼等」はそれを承知でこの法案を提出した、そして「彼等」の多くは、我々1億2千万人が住む日本国の将来を決める重要なポストについている。ゴヤの描いた、我が子を鬼の形相で食い尽くすサルトゥヌスの姿が、今の「彼等」にダブって見える。


 私は、皆が何も気兼ねする事無くスタジアムに足を運び、サッカーに熱狂できるくらいの平和が有れば、他に何もいらない。お願いだから、そんな小さな希望の芽を摘むような事だけはしないで頂きたい。


追記

 この件に関する記事は今回が最初で、恐らく最後になると思う。スタジアムでも、この話題はしない。スタジアムはサッカーを観る為の施設であって、演壇ではないから。明日からはまたおバカな記事を連ねていくけれど、この記事を読まれた方は、この事を心のどこかに留めておいて頂きたい。

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