いつもはSBの新しく出来た身障者席横で試合を観ているのですが、福岡戦は久しぶりにゴール裏の屋根下で試合観戦となりました。大学の頃の同級生が観戦に来たというので話でもしようと移動したわけです。
その同級生というのは女性なのですが、大学時代は非常におっとりとしていて、とても幼い印象のある子でした。失礼ながら男運が悪く、どうにもそこは行かん方がいいだろうという方向にばかり向きが変わり、案の定行かん方がよかったろうという結果になる、という事を繰り返して、クラスメート一同の脱力を誘っておりました。
ただ彼氏がおらんという時期が無い子だったので、同級生の中で一番早く身が固まるのは彼女であろうと思っていました。実際は私だったのですが。
三十路もとうに超えた彼女は今も独身で、しかし彼氏はしっかりとおり、しかも男運が無いのは相変わらずという、10年前と変わらない彼女でありました。ただお互い10年の時間が過ぎていたわけで、その間に何も無いなんてことは無く、大変だったわけです。
考えてみると何気に座ったこの席も、貧乏学生、貧乏社会人だった昔によく座っていた場所(貧乏なのは今も変わりませんが)時間というのはいつも待ったなしで進んでいくのだなと感じずにはいられませんでした。
人間もスタジアムも等しくいつかは無くなり朽ち果てる存在、その間に得をしただの損をしただのというのは少々みみっちい話なのかもしれませんが、それが人の業なのかなと思ったりもします。10年後には私はどこにいて何をしているのでしょうね。出来れば長居とセレッソとともにありたいと願います。
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