セレッソ大阪堺ガールズ、連覇!!
知人から勧められ、全日本女子ユースサッカー選手権大会を観戦した。最終日まで勝ち残ったチームは、5日間で4試合をこなすことになるという大変にタフな大会。その過酷な舞台で、セレッソ大阪堺ガールズは昨年に続き優勝。連覇は大偉業と言っていい。
内容も素晴らしいもので、1回戦ヴィクサーレ沖縄FCナビィータ戦は16-0、アルビレックス新潟レディースU-18戦は6-0、準決勝のジェフユナイテッド市原・千葉レディースU-18戦こそ2-1と苦戦したが、決勝では4-0の快勝。シュート20本、被シュート1本、圧倒的な強さだった。
彼女たちを観ていると、トップチームのサポーターには未知の領域である「勝ち方、勝つ意識」に触れることができる。どのようなことに気をつければ試合を優位に進められるのか、どのようにすれば点がとれるのか、どのようにすれば試合に勝てるのかをよく知っている。だから、苦しいシーンでもしのぎ切ることができるのだ。
彼女たちの主戦場がなでしこ二部リーグなのも大きい。自分たちよりも体格のいい大人の選手達とバチバチやりあって、フィジカルに勝る相手に対してどう立ち向かえばいいのかを考え続けてきた。だから、フリーになるための動き出しだとか、ボールの奪い方だとか、なるほどど唸るところが多いのだ。
試合を観ていた時、隣りにいた老紳士が「トップチームより見応えあるで。」と感心していたが、それはトップチームに対する皮肉ではなく、彼女たちの戦いぶりに対する賛辞だった。と、思う。
女子チームを支えるスタッフ、サポーターの存在
彼女たちは強い、けれど、やはり育成年代、投下できる資金は限られている。そんな中で結果をのこせたのは、情熱を持って、自らに与えられた以上の仕事を成したスタッフの方々。そして、日本各地を駆け回って、選手一人一人の人としての成長や将来までを考えているサポーターの方々の存在が大きい。
俺自身、J2観戦のため日本各地を遠征したからある程度はわかる。遠隔の僻地まで車を走らせ、電車に揺られ、そうして決してよくない環境の中で応援するのは大変なことだ。日本一の女子ユースを支えるのは、この日本一の献身性なのだ。
本来は、頑張った人には頑張ったなりの対価が支払われるべきだ。誰かの自己犠牲の上に成り立っているシステムは長期間持続できない(代替わりなどで必ず悶着が起きる)それはみんながわかっていること。いずれよいスキームができると信じたい。
「自分ができる限りのことを、尽くせ」と、利休は言った
試合後は南海本線堺駅まで戻り、「利休」に会いに行った。利休というのは小学四年になる甥っ子のことだ。
彼は千利休が茶を点てるのに使用した井戸の、その程近くで産まれた。まるで魅入られるように茶道をはじめ、まるで当然のように手びねりの茶碗を焼くようになった。
「今度なぁ、友達に椀を送るねん。」
喫茶店のアドフォカートをほおばりながら、利休は友達の名刺を見せてくれた。そこには「堺市長秘書室 秘書室長」と書かれていた。茶を点て椀を焼き、茶室で政治的な人脈を作る。利休以外なんと名付ければいいか。
彼は子どもでありながら、ある面ではすでに師と呼ぶにふさわしい境地に達している。だから、悩み事を聞いてもらうことも多い。問答をするのも楽しみだ。
「茶を点てる時、第一に何を考えているか?」
俺はふいに意地悪な質問をした。普通の人間は作法を覚え、守るのに必死のはず。利休はどう答えるのかと興味を持ったのだ。さして間をおかず、彼は答えた。
「まず、おいしい一杯を点てることや。」
茶道とは、迎え入れられた者の心、迎えた者の心を穏やかにすることが第一である。作法とは、その原則から逆算されたマニュアルにすぎない。利休にとって作法はすでに無意識のことであり、その先にある「自分は人のために何ができるのか」という境地で思案していたのだ。俺は器の大きさ、深さともに完敗だった。
これは、およそ全てのことに当てはまる真理であるように思う。堺ガールズと、彼女たちを支えている人たちの奮闘も、自分は何ができるのかという人の想いの集合だ。だから、迎えられた俺は非常に心地よかったのだ。
自分は愛する者のために、愛する存在のためにキチンと真摯に仕事をしているのだろうか。ガールズの戴冠と利休の言葉のおかげで、昨日は眠れなかった。
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