11/30/2015

2015J1昇格プレーオフ 準決勝 C大阪 0 vs 0 愛媛 桜の花、蜜柑の花。 #cerezo #ehimefc #セレッソ大阪 #愛媛FC #photo #diary


なけなしの小遣いを削り、セブン-イレブンシートで試合を見守っていた。彼方の愛媛サポーターからとんでもない声量でチャントが響いてくる。その言霊はスタンドを滑空し、グラウンドにのしかかり、俺の頭の上から聞こえてくる。

「愛媛がゴールを決めたなら、俺らは歌い踊るだろう。
愛媛の為に決めてくれ、ヤツらのゴールに叩き込め。」

それは命令形であったけれども、願いや祈り、渇望に近いものだった。


反対側のゴール裏からは聞き慣れたチャントが聞こえる。いつものゴール裏よりも数段強い音圧で、鼓膜だけではなく体中を揺らしているように感じた。

「熱い気持ち、この歌に込め、叫び暴れろ。」

これも命令形であるけれど、愛媛側と等しく、そうあってくれという願いだった。

たった90分の戦いで、一年間、それ以上の期間の働きが評価される。チームの命運も、選手の生活も、何もかもがガラリと変わってしまう。それを思えば声援も熱を帯びてくる。


昇格プレーオフを当事者として体験して、その恐ろしさをまざまざと感じた。4チームが全力で、それこそ明日立てなくてもよい、足の一本も折れて結構という覚悟でぶつかりあう。技巧や華々しさはJ1のチャンピオンシップに及ばなくても、凄みの面に関していえば遥かに高いものがある。サポーターのボルテージも異様、異常なもので、前述のような生きるか死ぬかという応援が繰り広げられる。

一言でプレーオフを説明をしろと言われたら、「蜘蛛の糸」という話を思い出してほしいと答えるだろう。天国に続く細い蜘蛛の糸に、カンダタたちがぶら下がっている。3人を蹴落とさないかぎり上には登れない。地獄のようなシチュエーションだ。

そんな異常な空気感の中で、いつも通り、いつも以上のプレーをするというのは生半可なものではない。その点ではセレッソも愛媛も、いい準備をしてきたと思う。



セレッソは4-4-2、スターターはJ2最終節の東京V戦と同じ。ベンチには累積警告から戻った扇原貴宏、ケガからスターターを回避しているパブロ、それにマグノクルス、エジミウソンが入っている。現時点で出られるベストメンバー。


愛媛も一年間通してきた3-4-2-1を崩さず、信頼できるスタメンで臨んでいた。基本は瀬沼優司の高さ、河原和寿や近藤貴司といったスピードと技巧に優れた選手の速攻という、ふたつの武器を全面に押し出したケレン味のないサッカーだ。


シンプルで、曲者という印象は持たないけれど、愛媛はこのやり方を1年間徹底して年間5位という結果を残してきた。選手はこのやり方に自信を持っていて、だからこそ、どう動けばいいのかを即座に判断できる。出足の早さはセレッソを苦しめていた。


厄介だったのは、こちらの攻撃がままならない時。中盤を援護するため玉田圭司を下ろしてくるのだけれど、そうすると3バックに対してプレッシャーをかけられるのが田代有三だけになって、残りの2枚がフリーになる。愛媛の3バックは高さこそ無いものの、みんな足元が下手ではなくて、そこから攻撃をビルドアップしてくる。

特にサイドの攻撃に加わってくると、局地的に2対3で数的不利になる。これがなかなか決定機を作れなかった遠因だった。こちらのサイドが楠神順平、関口訓充とドリブラータイプだったのでボールを保持する時間が長いのも不味かった。ひとりに対して2枚が守備をして、サイドにサイドに押し出されていくので速攻の形が作れなかった。


セレッソが好機を作れるパターンはみっつ。ひとつは前線に手間をかけず、長めのパスを通す時。それと、数的に優位に立っている中央の高い位置で、敵のボールを引っ掛けてそのままカウンターという形。関口も楠神も中に中に入りたがる時があって、その時には玉田と3人、時には山口蛍や橋本英郎も加わって分厚く、決定的な形が作れる。最後のひとつはセットプレーで、これは予想していたとおりだった。

前半のセットプレーでは茂庭照幸のあわやというシュートがあったし、後半に入り愛媛の守備がふっと気を抜いた時に、田代に決定的なパスが2本通っている。このみっつのどれかが決まっていればもっと楽にいけたはずなのだけれど、うまくいかないから今の順位なのだよな。


幸運だったのは、愛媛が早め早めに交代カードを切ってくれたこと。セレッソは引き分けでもいい、愛媛は勝たないといけない、その差が産んだ交代なので間違いではないけれど、おかげで相手の変更点を見極めてからカードを切るというやり方ができた。

後半23分

後半45+2分

試合を引き分けのままクローズしたいという流れになった時、相手の3バックに対してプレッシャーをかけるために前残りするエジミウソンを入れたり、中盤は無視でパワープレーをするぞと分かってから橋本英郎を下げて中澤聡太を入れるという選択ができた。これは地味ながらとても大きいファクターだった。




それでも、死にものぐるいで攻めてくる相手をせき止めるのは容易ではない。ロスタイムにはキーパーの児玉剛まで上がってセットプレー、キム・ジンヒョンが飛び出してしまってあわやというところがあった。あと1メートルもボールが転がれば、試合は愛媛のものだった。今思い返してもゾッとするし、落涙しそうになる。試合終了のホイッスルを聞いた瞬間に張り詰めた糸が切れてしまって、どっと疲れが押し寄せた。


試合後に言うものなのか迷ったけれど言ってしまおう。愛媛のチームに、サポーターに伝えたい事がある。

あなた達は自分で考えているよりもずっと強く、可能性があり、恐ろしい敵だった。今の路線を堅持できるのであれば、順位を上げることはあっても、そうそうに大崩れすることはない。試合に対してもそうだし、クラブの運営だとか、そういう面に関しても。クラブの運営で大崩れして、他所様を恨めしく思ったチームのサポーターが太鼓判を押すのだから、間違いはない。


いつか、愛媛といえばサッカーが盛んだと言われるようになり、愛媛FCの試合がないと退屈だという人が増えてくる。そこまで、今の気持ちを持ち続けられたらと願う。


さて、来週は本当の大一番、福岡との決戦になる。

相手はここまで9連勝。セレッソがついぞ1点もとれなかった長崎の守備を破って、ヤンマースタジアム長居に乗り込んでくる。愛媛同様、多くのサポーターが決死の覚悟でやって来るだろう。

そのチームとサポーターの熱気を押し出し、ホームの空気を守り、相手がプレーし辛い雰囲気を作り出すのがセレッソサポーターの「仕事」だ。役目とかそういうものではなくて、選手がどう動くかだとか、それに等しい「仕事」なんだ。


もし無観客でこの2チームがやりあったら、勝率は極めて低いものになるだろう。10回やって1度2度勝てるかどうか。

それを3度にし、4度にし、五分五分、それ以上に持っていくことができるのは、サポーターの力だけだ。俺たちにしかできない大切な仕事を全力でやっていこう。

胃の痛い、神経をすり減らす1週間。その苦しみを味わうことを幸せに感じよう。

11/29/2015

es 2015 J1昇格プレーオフ セレッソ大阪非公式煽り動画 #cerezo #セレッソ #セレッソ大阪

11/27/2015

セレッソと愛媛の2015/11/29/17:40。 #cerezo #ehimefc #photo #diary


人間とのコミュニケーションが難しくなって、最近ではカメラがもっぱらの話し相手になっている。カメラはカシャッとか、ピピッとか、そんな音しか鳴らないけれど、これで結構雄弁なヤツだ。

例えばカメラを持って出歩くとする。否応なく、日がどこからどう当たっているとか、建物の高さがいくらで影がどう出ているとか、そういう情報が伝わってくる。いい写真を撮りたければ先回りして、地図を見たり天気のサイトを見たりする、写真好きはそういう習慣がついてくる。

2015年の11月29日の天気は曇り、降水確率は40%だから、弱くて均質な光がヤンマースタジアムを包むはずだ。日の入りは午後4時48分なので、町中にあるスタジアムでは太陽が沈むのはもっと早いだろう。だから、多分前半のうちかハーフタイムには照明に火が入るだろう。


それから、サッカーを撮る人間であれば選手の情報やチームの情報を仕入れる。セレッソを撮っていれば、キム・ジンヒョンからのゴールキックは、大抵田代有三めがけて飛んで行くという予想ができる。だから、先回りして田代と相手ディフェンダーの空中戦に備えられる。そういうデータを集めていく。


愛媛FCの情報も仕入れる。得点はセレッソの57に対し47、失点はセレッソ40に対して39、守備に堅いチームだ。木山隆之監督が就任して、2014年に58あった失点をここまで減らしてきた。

ただし、穴がないわけではない。セットプレーでの失点比率が比較的多いようだ。このあたり、3-4-2-1を採用しながら、センターバックに上背がないことが理由かもしれない。


対するセレッソはセットプレーからの得点が多いチームだ。前半戦はディエゴ・フォルラン、後半戦は玉田圭司、関口訓充という優秀なキッカーがいたことで比率が伸びた。田代以外にも山下達也、中澤聡太といった高さが武器の選手が揃っているので、セットプレーの際は集中しておこう。


嫌なデータもある。セレッソは得失点ともに後半に多いが、愛媛の場合は得点は後半、失点は前半に多い。前半をしのぎきれば、後半勝負に持ち込めるということ。セレッソのサポーターとすると試合終了までハラハラする流れになる。

こういう事前準備をたくさんして、どういう写真が撮りたいかから逆算し、どこから撮ろうかを決める。ホームスタジアムだと年パスだから、選択の余地はないけれど。


もちろん、セレッソが勝つ瞬間を残したい。歓喜にわくスタジアムを撮りたい。けれど、スポーツに絶対なんてない、負けることも、もちろんある。それでも撮らなくてはいけない。敗北もまたセレッソの忘れてはいけない歴史のひとつで、その経験もまた勝利につながっているからだ。

明日は舞洲に行くし、明後日はヤンマースタジアムのバック側に足を運ぶ。何もかもを残して、後に来る誰かのために糧にしたいから。できれば、来週もそのようにしたいな。

11/23/2015

明治安田生命J2リーグ 第42節 C大阪 2vs0 東京V We still alive!! #cerezo #verdy #photo #diary

そこに「死んだ顔」はなかった、みんな生き生きと動いていた。


戦術なんぞクソ喰らえで、不器用で、バカバカしいセレッソ大阪。攻撃に人数かけすぎてテンパったり、気負いすぎたキム・ジンヒョンが空回りしたり、個人技をガンガン披露するあまりに味方と進路がバッティングしたり…。でも、それで苦しむのがセレッソ大阪で、それで勝つのがセレッソ大阪なんだ。不条理だけど、それでいい。


スターティングメンバーは、サポーターが「これで行ってくれ」とリクエストした、そのもののよう。キーパーはキム・ジンヒョン、守備は右から田中裕介、茂庭照幸、山下達也、丸橋祐介、ボランチに山口蛍と橋本英郎、攻撃的な位置に関口訓充と楠神順平、そしてツートップは田代有三と玉田圭司。


大熊清監督のサッカーはどんなものかと思っていたけれど、パウロ・アウトゥオリの指揮よりも、レヴィー・クルピのそれに近い。組織の縛りはルーズで、個々人の意識や、やる気みたいなものに任せる。指揮というより、放任。


今日のスターティングメンバーでは橋本、関口、田代、玉田とベテランが揃っている。自分の能力、使い方、使われ方をよく知っていたように思う。楠神と関口という2列目はふたりともドリブラーなので、パスワークのようなものはうまく紡げなかったけれども、前に前にという推進力はあった。だから、放任でもよかったんだろうな。

ヴェルディは、アラン・ピニェイロの強さと、杉本竜士の速さ、いやらしさが際立っていた。セレッソOBである中後雅喜が捌いて、前線を動かす。こちらは山口蛍が動かして、前線を躍らせる。チームの骨子みたいなのは似ている。


だからか、スタッツを見るとシュート数13対12、ゴールキック10対8、コーナーキック6対7と、差異は少ない。スコアは2-0になったのは、個々人の力量もさることながら、以前から選手が口にしていた球際の強さだとか執着みたいなものが息づいていたからだと感じている。やりたいことをやれる、この自由を得た代償として、自分のベストを尽し、責任を果たそう。選手の動きからはそういう自らが課した「契約」みたいなものを感じた。

さもないと、今まで日本で1ゴールしかあげていない茂庭が2ゴールを奪えるはずはない。チームで最も闘志をむき出しにするスタイルの彼に、吸い寄せられるようにボールが集まったのは、そういう理由なんだと思う。前半の玉田のキック、後半の関口のキック、ともに見事だったしね。


ただ、まだまだ整理できていない問題もたくさんあった。押し込まれるとボランチが守備ラインと近づきすぎる。それから攻撃に転じた時、3対3くらいの局面でも個人技にかたよって、相手の急所にパスを出せない。そう、昔のセレッソが抱えていたのとよく似た問題。


そこを直すには、監督からの指示もあるだろうけれど、ミスをした自分自身、ミスではないけれど、やっていれば1点とれた、1点防げたプレーを行えた自分自身を変えないといけない。それが自由の代償で、それを果たせない人間は、ピッチにいられない。選手が自由にするというと勘違いする人がいるけれど、自由とはそういうことなんだ。


セレッソを待っている「怖さ」は、この自由を履き違えてペースが壊れてしまうこと。レヴィー時代もそうだったけれど、一度狂いだすと修復するのがとても難しい脆さがある。だから、一発勝負のトーナメントではあまりうまくいかない。

後半34分

後半38分


でも、今はこの形で行くしかない。このサッカーで、次の試合は「負けないこと」その次の試合では「勝つこと」が至上命題になる。そこまでいかないと、セレッソがJ1に回帰することは叶わない。胃が痛くなる2週間、目まいがする2週間が待っている。


それは、幸せでもあるのだけれどね。今日の試合で対戦した東京ヴェルディは、セレッソに勝てば昇格プレーオフ入りが果たせた。俺達はその夢を食いつぶして生きているんだ。俺達はその他のチームが行きたくても行けなかった、最後の切符への挑戦権を得たんだ。だからこそ、残り3チームの希望も食いつぶして、残酷に戦おう。あとふたつ、あとふたつだ。

セレッソの夢をかなえるということは、ヴェルディの夢を食らうということ。 #cerezo #photo #diary #verdy

最終節の朝が来た。


セレッソはプレーオフ進出を決めているから、ぶっちゃけると今日の勝敗は大勢に関係はない。厳密には4位と5位で違いがあるけれど…。

対してヴェルディは、勝たなければ未来がない。プレーオフ進出には勝利が絶対条件で、死ぬ気でかかってくるだろう。


それでも、セレッソは勝たなくてはいけない。非情に、冷徹に得点を重ね。苦しめて、悲しませて、絶望させて大阪を追い出さなくてはいけない。

「夢を見る」とはこういうことだ、「夢をかなえる」とはこういうことだ。誰かの夢を食らって生きることが、前に進むということなんだ。


俺は…夢が潰れてばかりだけど、今日だけはぶっ潰させてもらうよ。ヴェルディには悪いが、今のセレッソには成功とか勝利とか「この方向に進んでいればいいんだ」という自信が必要なんだ。誰よりもね。


11/19/2015

長崎で感じたこと、アウトゥオリの限界。 #cerezo #vvaren #photo #diary #nagasaki #長崎



V・ファーレン長崎のホームスタジアム、長崎県立相互運動公園陸上競技場は、それは美しいスタジアムだった。立地は悪いけれど、バス一本で最寄り駅まで行けるし、駐車場もそこそこある、屋根は観客席のほぼ全てを覆っていて、前から2列目でカメラを構えても水滴がカメラにかかることは殆ど無かった。規模の小さな味の素スタジアムのような感じかな。

長崎サポーターのノリもまた独特で、「おっしゃー!いかんね!」「よかよか!」と訛り丸出しの言葉で選手を後押しする。故郷の訛り懐かし~を体験するのは上野駅ではなく土地土地のスタジアム、アウェイスタンドだ。


「J1にいた」セレッソ大阪相手に2-0で勝利となれば、祝いの酒もおいしかったろう。長崎は辛い時も飲み、嬉しい時も飲む。長崎高島生まれの親父がそうだった。親父だけだろうと思ったら親戚一同そうだった。親父の葬式の時葬儀場のビールをバカみたいに飲んで、とんでもない額を請求されたのは忘れたい思い出だ。


最低の誕生日プレゼントをつきつけられた俺は、最寄りの諫早駅に行くバスの中でどうブログの記事を書こうか考え込んでいた。戦術がいけないのか、選手が動かないのが原因なのか、そもそもピッチ上に起きている事象だけでセレッソがここまで弱くなったのか、まるで分からなかった。

ただひとつ言えるのは、金沢、長崎とアウェイ2連戦を3-0、2-0という酷い結果で終えたチームを、このままにしていたらダメだということだけだった。何か変化が必要で、でもそれがなんなのかは整理がつかず、そういうもやもやを抱えたまま思案橋にたどり着いた。


雲龍亭という餃子のうまい店があるというので、そこでスープ餃子とハイボール、レバーの焼き物を頼んで一心不乱に食べる。そうしてそこそこにうまいものを咀嚼しながら、自分なりに考えていた。

セレッソが採用している4-1-2-3や、相手のブロックを崩すために攻撃に幅と奥行きを持たせるというコンセプトは理にかなっている、そこまでは分かる。でも、そのやり方を実行できる選手が揃っているのか、その戦術が徹底されているのかは疑問だった。監督と選手の意識の乖離は、日増しに悪くなっていくばかりだった。


だから、その二日後にニッカンスポーツがパウロ・アウトゥオリの退任をすっぱ抜いた時も、半分は「本気か?」で、もう半分は「仕方がないだろうな。」という感覚だった。

選手が出来ることはおよそやっていた。茂庭照幸は金沢に点を奪われた時「これからだよ!」と必死にチームを鼓舞していた、中澤聡太も玉田圭司も、それぞれに必死だった。若手にその覇気が感じられなかたのは悲しいことだけれど、絶望するようなチーム状態ではないと、今でも言える。それでも勝てないのなら、現場のトップがどうかするしかなかった。


日曜日の舞洲では、選手に向けて段幕を掲示したり、激励をするようだ。そういう気持ち一つ一つが選手達の気持ちを高めていくはずだから、時間がある人は行ってほしい。そう思わないとサポーターなんてやってられないしね。

ああ、もうリーグ戦は最終節だ、プレーオフも含めても270分しかない、そろそろ全力で駆け抜けても息切れはしないはずさ。ただ、ゴールだけを目指して行こう。切れるカードは全て切った、本当に応援くらいしかすることがないんだ。

11/15/2015

明治安田生命J2リーグ 第41節 長崎 2vs0 C大阪 素晴らしい誕生日をありがとう。 #cerezo #vvaren #photo #diary

長崎市内、昭和で煮しめたような古宿に泊まり、文章を書く。40度目の誕生日は、およそ記憶している限りの中で最悪な出来栄えだった。




スタメンは、戦略とか戦術とか、そういうレベルの思考で組まれたものではない。山口蛍は代表に呼ばれ、扇原貴宏は累積警告で出場が出来ない、秋山大地は怪我をしていて、橋本英郎以外に経験豊かなボランチはいなかった。だからボランチは一枚だった。


全然二枚、攻撃的な中盤二枚、両サイドに一枚ずつ。そこから逆算してスリーバックになっただけで、長崎対策がどうこうという視点は皆無だった。

攻撃陣も薄い。丸橋祐介と田代有三はまだ完調ではないようで、前線も玉田圭司とエジミウソンだけが実戦に耐えうる経験を持っていた。


セレッソも長崎も5バック、トップに一人だけという布陣で、完全ではないもののガッチリ噛み合うような流れが多かったように覚えている。

こうなると個々の力量がよく分かる。長崎は技術はないものの体軀がしっかりしている。トップに入ったイ・ヨンジェ、二人目のトップとしてヨンジェをカバーしていた佐藤洸一、それにボランチの黒木聖仁と、体を張ってボールを保持する、展開するプレーヤーが揃っていた。



セレッソでは、そういう選手がディフェンスラインにしかいない。エジミウソンに向かって放たれたロングボールは、ほとんどが長崎へのプレゼントに変わってしまった。


では、どうすべきだったか。セレッソの選手で躍動感を持ってプレーしていたのはスキルフルでテクニックとスピードを持っている選手、つまり、玉田圭司と関口訓充、パブロだった。彼らのように長崎のトップとディフェンスの間に入り込み、ドリブルで、パスで、守備をかき回すタイプにはからきしだった。

セレッソに残された手札では、指折りのテクニシャンである楠神順平、スピードに長けた沖野将基、岡田武瑠らを登用する事が答えだった。けれど、現実に切られたカードは沖野一枚だけだった。



ああ、今になって思う。セレッソ一番足りないのは、頭脳であり、情熱なんだ。勝利のために何をするのか思考し続ける脳、劣勢になっても立ち向かう心、それが、ピッチにもベンチにもないのだ。それが、ここ二試合で5失点0得点という壊滅的な状況の根本なのだ。

だから、東京V戦、その後のプレーオフに勝つのであれば、勝ちたいのであれば、頭脳とハートを取り戻さなければならない。


(一部の選手を除き)個々の力量には素晴らしいものがあると、今でも信じている。彼らをセレッソという大きな作品に仕上げる頭脳が、ハートが欲しい。誰にでもわかる最後のピースが埋まらない。