11/06/2013

ケビン・カーターは自分で死んだの?殺されたの? #photo #diary

ケビン・カーターという名前を知らなくても、下の写真は見たことがある、そういう人も多いと思う。


1993年に、ケビン・カーターは南スーダンのキャンプで、この「ハゲワシと少女」というタイトルの写真を撮った。それがニューヨーク・タイムスに取り上げられ、翌年のピューリッツァー賞受賞につながった。

でも、彼は自殺をした。名声を得た時、多くの人が彼にこう言ったそうだ。

「どうして助けてあげなかったの?」

「写真を撮る暇があるならハゲワシを追い返せばよかったのに!」

それで、もともと躁鬱病だったケビン・カーターは耐えられなくなり、お金にも事欠くようになって、母国南アフリカでガスを吸ったのだ。

この話には続きがある。実は、彼がハゲワシを追い払い、座り込んでいる少女も立ち上がってその場を去ったことが事実して残っていたのだ。それは公表されたようなのだけれど、ついぞ彼に注がれた汚名は晴らされることはなかった。そもそもの意見は的外れだった、それなのに。


俺はこの話を初めて知った時に、やり場のない想いに囚われた。アクションを起こすと、正しく、真摯に話を聞いてくれる人、助言をしてくれる人がいる一方で、頭ごなしに否定してくる人、奇異な目で見る人、バカにしたり嫉妬したりする人、そういう人が必ず出てくる。

それで、そういう人は大抵当事者からは見えない場所にいて、出て来ることはない。だから、一方的にやられてしまって、ストレスばかりたまることがある。ちょっとしたことでもそうだから、こんな写真を撮ってしまった彼に対する風当たりの強さはどれほどだったろう。


その場で見て、触れて、感じたことを伝えて、人の心に訴えることは、とても大事だけど、とても危険なことだ。人は弱くて、脆くて、時々酷いことを平気でする(それは、自分も含めてだけれど)心を動かされる、そんな人は特に極端に動く。

だから、物事を伝える時は、たくさんの覚悟をしないといけない。それから、誤解を生まないよう、細心の注意をしないといけない。とても大変だけど、とても大切なことだ。


俺は、ケビン・カーターは「みんな」に殺されたのだと思っている。ケビン・カーター自身も含めて「みんな」。温々としたところから彼を追い詰め続けたたくさんの人と、自傷を止められなかった自分、その全員に殺されたのだ。

唯一救いなのは、この写真によって、善意を持った人達の支援がいくらか増えたということ。 それくらいだな。


まあ、しがないブログ書きなんで、酷い目に遭うことなんて滅多矢鱈とあるわけではないけれど、注意はしているつもり。それでゼロにはならないけどね。





口直しに、昨日の写真を少し。おやすみ。

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