6日9時30分の大宮
大宮にはどうしても行きたかった。去年知り合った大宮サポの友人との再会も果たしたかったし、この大好きなチームの最期をちゃんと見届けないことには、何も終わらない、自分の中で踏ん切りが付かないと思っていたから。
大宮の友人はあたたかく、その友人もまたあたたかく、大宮駅東口の大衆酒場で大いに語らった。彼らにも守りたいものがあり、そのために必死のはずなのに、心から歓迎してくれた。それがありがたく、また心苦しくもあった。この優しい人達から夢を奪わなければ、自分たちの最期の目標まで手が届かない。どの試合でもそうなんだ。サッカーはあまりにも残酷なスポーツなんだな。
15時30分のNACK5スタジアム
試合のことは、正直あまり覚えていない。「観戦」ではなく、ゴール裏での「応援」だったし、点を奪われようがミスしようが叫び続けること、最低限の写真を撮ることに必死だった。「We are Cerezo」のジャンプで39歳の左膝は致命傷を負ってしまった。
けれど、ピッチの上のセレッソの方がはるかに重症だった。パスはつながらず、ミスは修正できず、ハイプレスをかわされた後にブロックが乱れ、サイドを長いボールでえぐられて失点という、ここ数試合のお決まりパターンを繰り返した。開幕前は優勝候補などと言われていたチームの、これが終焉だった。
大宮は素晴らしいチームだった。全員が必死に走り、連動し、体をはっていた。家長昭博、横山知伸、かって同じ釜の飯を食った古強者もセレッソを苦しめてくれた。
結局試合は2-0で敗北、いつもなら相手チームが歓喜の声を上げるはずのスタジアム、しかしそこには重苦しい、悲しい空気しかなかった。清水が勝ち点1を上げたため、大宮も降格。初冬のNACK5スタジアムに勝利者はいなかった。イギリス人でも考えつかないような皮肉な結末が、12,035人のサポーターを凍りつかせてしまった。
帰阪、23時30分の新大阪
寒風吹きすさぶ深夜の新大阪駅前、大事なツレが運転する車に乗せてもらう。精も根も尽き果てて、寝てしまおうとどっかとシートに腰をおろした。その時にツレがカーステレオをつけてくれた。
「マル、ケツメイシが好きや言うてたよね。これどうやろう?」
その時はじめて「仲間」という曲を聞いた。目を閉じると歌詞が素直に入ってくる、そのフレーズの一つ一つが、俺の脳の中で今年のセレッソとリンクしていった。ビシビシとシナプスが繋がって、眠気を麻痺させ、一つの衝動に駆り立てた。
試合後、人目もはばからず泣いていたマル。移籍の可能性が高いことは少し前から知っていた。そのマルに自分たちの気持ちを伝えられたら、好きなアーティストの曲なら、もしかしたら届くかもしれない。
「俺、今日は寝ないよ。寝ないで動画作るよ。」
気がついたらそんなことを口走って、安物の動画編集ソフトにその日の写真を取り込み始めていた。その時点で夜中の1時くらいだった。
1時から7時の堺と、12時の「セレッソの日」
6分半の動画(写真と動画の切り貼りだけれども)を編集し終わったのは朝の6時半で、そこから動画をアップ、1時間だけ横になり、キツ目のコーヒーを飲んで長居に向かった。長居に向かう電車の中、ポケットのiPhoneが何度もバイブレーションする。Twitterで告知した「Cerezo Osaka 2014 - Nakama -」に対するリツイート(拡散)の通知だった。
「ああ、徹夜でフラフラで、何が良くて何が悪いか分からないまま作ってしまったけれど、あれでよかったんだ。」
少しだけ落ち着いたら、左足のヒザ、太ももが悲鳴を上げていることに気づき、強烈な眠気も襲ってきた。寄る年波には勝てない。
ただ、昨日のマルや健勇の様子が気になって、せめて表情だけでも見ようと、今年ラストになるはずのヤンマースタジアムへとなんとかたどり着いた。
大宮の寒風がウソのような日差しの中、ファン感謝イベント「セレッソの日」が始まり、選手たちとサポーターとの交流イベントが行われた。ケガをした岡田武瑠、平野甲斐を除いた全選手が集まる。マルの表情は、昨日と打って変わって穏やかだった。それでますます安堵して、今度は猛烈な感情が沸き立ってきた。マルの心のなかでもう整理はついたのだ。移籍にせよ残留にせよ腹は決まったんだ。だからもう何も「すること」はない、なにもできはしないのだ、と。
退任した岡野雅夫社長に代わった宮本功本部長が選手の前に立つ
「必ず巻き返します。」
静かで、力強い声は、俺からますます「すること」を奪っていった。そして、「すること」を奪われた悲しみと重圧からの開放感で、涙が止まらなくなって、ボロボロ泣き崩れた後、家路に着くことにした。32時間、移動距離1000キロ、睡眠時間仮眠含めて2時間半の、短くて長い旅と、今年のセレッソが、ようやっと終わった。
これから誰かが抜け、誰かが入り、ああなってこうなってと、ウワサに心が揺れる日々が来る。次の桜が咲くまでの間に、セレッソはどれほど変われるのだろうか。今はまだ何も決まっていない、不安ばかりが渦巻いているけれど、やるしかないんだろうな。
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