7/07/2006

ベルリンにタクト舞う。

 ワールドカップを観ていてまず印象に残ったのは、サッカーで強豪と言われるチームには、ゆるぎない「オリジナリティ」があり、それをより強く表現できたものが勝者になるのだと言う事。今日のポルトガル対フランスも、お互いの持ち味が出たいい試合でした。


 フランスを何に例えようかと迷ったのですが、オーケストラ、というのがピッタリ来るんじゃないでしょうか。ドメニク監督には申し訳ないですが、コンダクターはジダン。それぞれのパートの演奏家達も個々人が素晴らしい音楽家なのですが、それ故に乱調した時の不況和音は凄まじい。

 しかししっかりと指揮者がリズムを与えれば、素晴らしく強固なチームになる。この試合でも実に彼ららしい試合運びをしていました。ボランチは相変わらず黙々と攻撃の芽を摘みとっていましたし、ジダンの前3枚はそれは献身的に動き回っていた。


 対するポルトガルは、どちらかと言うとバンドのような感じですね、一人一人がもう少し強くて、即興も許される。みなトップクラスの個人技を持っているのだから、それをガツンと出さないでどうするという感じ。

 圧巻だったのは終盤1点を追いかける展開になった時。フェリペ監督の指示で4トップ、3-3-4でパワープレーを仕掛けるようになったのですが、それでもCロナウドとフィーゴはドリブルでのチャレンジを諦めないし、デコとマニシェはパスで崩そうという姿勢を完全には放棄しなかった。

 それは本当なら悪い事なのかもしれませんけれど、ここまでその方法で勝ち上がってきたのだから、いまさらそれを投げ捨てるわけにはいかないんでしょう。それがポルトガルのオリジナルなんですよ。

 ひょっとしたらそういう観念も持っていなくて、そういう思考がもっと心身の奥底、本能にまで染み込んでいるのかもしれないですね。そうでなくてはあれだけのことは出来ない。


 この試合、結果としてフランスが勝ちましたけれど、そこに絶対的な差は有りませんでした。フランスはフランスの、ポルトガルはポルトガルのオリジナルを余すところ無く表現した、その点においては全くの互角と言っていい。

 日本はどうなんでしょうか。クルクルと指導者の指針が変わってしまうし、まだ日本サッカーはこういういい部分があるんだ!と胸を張れるところが少ない。シュートが決まらないとか、そういうネガティブなオリジナリティばかりが着々と蓄積されていってますけれども…。


 オリジナルと言えばもう一点、試合終了間際になってこだました「ラ・マルセイエーズ」の大合唱。自らが自らを証明するために、最も適切な方法として国歌が揺ぎ無い地位を確立している、というのは羨ましいですね。もし同じ状況に日本サポーターが置かれても、君が代は歌われなかったでしょう。これも別に日本のオリジナルが有ればいいんですが、残念ながらそういう部分が欠落しているのが現状ですからね。


 

7/05/2006

イタリアは強い時ほど憎らしい。

 ドイツ対イタリア、119分間0-0だったわけですけれど、試合が進むにつれて流れはイタリアに傾いていきました。ドイツはボールを持っていても決め手に欠けていたし、頼みのクローゼは途中で消えてしまうし、散々でしたね。バイタルエリアに入ろうものならものの見事に密集したイタリアDFに跳ね返されてしまう。

 もっと高さを生かし、サイドをしつこく狙いつづければ、打開策はあったのかもと、今になって思うのですが、あの時はとにかくイタリアの堅牢な守備が目に付きました。


 とりあえず失点はしたくない、でも点をとらないと勝てない。そういうバランス感覚の中で、ラストの方はお互いカウンターの打ち合いになりましたけれど、そんな試合展開をさせればイタリアの右に出るチームは無いわけで、カウンターの精度には歴然とした差が有りました。ロングボールの正確さ、スペースを見つけ、そこに駆け込むタイミング、フィニッシュまでのイメージ。

 FWのコマも揃っていました。トニがダメならジラルディーノを出す、それでもダメならデルピエロ、反則級の層の厚さ。


 でも一番差があったのは精神力というか、忍耐力のようなものではなかったかと。点をとりたい焦りは、当然どちらにも有ったでしょうが、とりわけドイツの選手達は苛立っていたように見えました。ホストカントリーとしてのプライドが邪魔をした、というのはいいわけでしょうか。2度あったホドルスキの決定機も、一度は枠を外れ、もう一つはブッフォンにはじかれてしまいました。もう少し余裕が有ったなら、違った結果になっていたかも。

 対するイタリアは、別に点をとれなくてもいい、などとは思っていなかったでしょうが、自分達が一番得意とするパターンだったわけですから、我慢強く耐えられた。1点目みたいなシュートはいつでも打てるわけではないですが、イタリアにすれば120分間に一つ、ああいうシュートがあればよかった。

 2点目は、本当にこれぞカウンターという形。おまけにデルピエロがお得意の角度で1対1。たとえレーマンでもアレはムリです。


 ドイツの立場でこの敗戦を振り返るなら、イタリアのペースに引き込まれそうになった時に何とかならなかったかな、という思いが有ります。キーパーならボールを少し長めに持って指示を飛ばすとか、フィールドプレイヤーなら枠に行かなくても長めのシュートを打って終わるとか、方法はいろいろ有るでしょうけれど、そういうプレー以外の何かが足りなかった。

 そうして思うと、カーンという男は頼りになる存在だったんですね。ifが許されるなら、キーパーがカーンの場合はどうだったのか、観てみたい気がしますね。


 ドイツ対イタリアは毛色の違うチーム同士の対戦でしたが、今日のポルトガル対フランスはスピードとパスワークが身上の、いわば似たもの同士。こういう試合はどういった流れになるのか、楽しみにしています。


 それから、これは全く別の世界の話ですけれど、2000年以上前のギリシャ人ですら、オリンピックの期間中は休戦という協定を守っていました。現代に生きる人間が、彼らから何も学び取れなかった事は、少々情けないように思います。これからこんな悠長な記事など書けない世の中になるやも知れませんが、今はただ、平和な世界であるように祈っています。


 

7/04/2006

蛇口と水。

 あんまり他のサポーターさんを観て、羨ましいなと感じた事はあまり無いのですが、Fマリサポさんの有志達が集まって発行されていたハマトラの存在は、素直にいいなと感じてしまいました。情熱と少しのお金と多大な時間を費やせば、サポーターはここまで出来るんだ!とただただ関心していました。

 ですから諸所の事情で休刊された時にはすこし寂しい気持ちも有ったんですが、このたびSNS化されるとか。マリサポの、マリサポによる、マリサポの為のコミュニティー。

 ただこういうコミュニティーは紙媒体なんかと比べてどうしても閉塞感が有りますね。マリサポさんの間でもそういう話はあったと思うんですが、コミュニティーを立ち上げても問題無いくらいの人達が参加されるという確信があったのでしょう。そういうところはペーパー版ハマトラで得た経験が生きているんだと思います。


 セレッソでもこういうコミュニティーが出来ると嬉しいんですけれどもね。確かにmixiとかにもありますけれど、やっぱり完全なセレサポの、セレサポによる、セレサポの為のコミュニティー、というわけではないですしね。

 知り合いのサポさんでもフリーペーパー作ろうとか、他の方法でサポーター同士、またそれ以外の方にも情報を発信しようという動きが無い事はないんですが、立ち遅れているのが現状です。


 ここで話を少し昔に飛ばしましょう。携帯電話が本当に電話としての機能しか持っていなかった頃、携帯は二束三文で手に入りました。あんなので収益が上がるのかなと思っていたんですが、こういう動きは「蛇口を増やす」と表現されるそうです。

 水道局がいくら水を用意しても、誰かが蛇口をひねらないと収益にはならない、だから新しい分野では、まず利用者の拡大を第一に考え、サービスの拡充をしていくのは絶対数が増えてから、というわけです。


 今の状況に当てはめるなら、セレサポの動きはまだ蛇口を作っているような状態です。どれくらいの数を用意しなくてはいけないか等もはっきり判っていません。

 ハマトラは蛇口は十分に確保出来たので、そろそろ流す水の質を変えていこうという段階に来たのかも知れませんね。成功すれば、こういう文化はもっと広がっていくんじゃないでしょうか、少し期待しています。