まあ、あんまり対人折衝が得意ではない人間が言っても説得力無いですが、最低限ここらへん押さえとけば、多少「イタイ」と思われていても、後は「個性」の範囲内なんじゃないの?とか思ったりしていますよ。
ただ今回に関しては「時間」という絶対的な制約があるんで、さすがに辛いと思う人が、自分も含めて多かったと、それだけですよ。だから某氏には2/3も来てほしいし、少しは話をしてほしいし、話を聞いてもほしいな。
私の場合はいきなり2ちゃんに自分のブログの売込みをするという、それは炎上するだろという登場の仕方しましたから、これくらい言われてもなんも感じません。いや、話題というか、話の種になっているなら「氏ね」とか「死ね、氏ねじゃなくて死ね」とか書かれてもふつーになってしまいました。むしろ「おお、載ってる載ってる」と喜ぶドMな感性を身につけてしまいました。
一番寂しいのはなーんにも反応が無い時ですよ。いろいろしてみても効果無し、影響無しってのは、辛い。そこにいないのと同じって事ですもん。それに比べれば、批判が多いとは言え、皆の話題になったのは、それだけの価値というか、意味というか、それがあったからでしょ?それを次に生かせれば、それはプラスになりますよ。「失敗したから、もうしない」では、失敗の数だけ選択肢が狭まっていくじゃないですか。
失敗しない人間はいないです。問題はそれを恐れるか、恐れないか。明らかに無謀なら、その時に判断つくから、その時にトンズラこけばいいだけです。フィフティーフィフティーくらいなら賭けてみても面白い。私はバカなんで、30%くらい成功率があれば全然トライしますよ。
そういう無謀さ、無鉄砲加減、無神経、リスクフルな行いと粘着気質の取材姿勢が、このブログや私のオフ活動の根幹です。
そんな奴でも出来る事。あなたに出来ないわけはない。自分を変えて、セレッソも変えましょうや。
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