2/06/2007

大阪市公務員主義人民共和国

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 記事を書いている今、seesaaブログはメンテナンス中で、コメントが来ているのは判っているのだけれど、それがどのような内容のものであるのかは判らない。だから話がこんがらがってしまったりするかもしれないけれど、その辺りはご容赦願いたい。


 さて本題。大阪国際女子マラソンから間も空けず、また長居公園がクローズアップされることになった。世界陸上がらみで世界中にお寒い実状を知られたくない大阪市が、居座りを続けたホームレスとその支援者を実力行使で排除したというもの。

 これに関しては「ホームレスになる者が悪いのだ」とも言えるだろうし、「ホームレスを生み出す社会が悪い。自立支援もつたない中で、彼らはどうやって生活していけばいいのか?」と憤る事も出来る。ただ私は別にこの問題に一家言あるわけではないし、ましてホームレスの支援などもしていないので、そんな切り口は他のアルファブロガーさんに任せようと思う。


 しかし突込みどころとして、そのホームレスや支援者達を強制排除した部署が、例の「大阪市ゆとりとみどり振興局」だ、というのがある。

 このブログをご覧頂いていればご理解いただけるかと思うけれど、私と「ゆとりとみどり振興局」とは浅からぬ縁がある。というか私が事あるごとに電凸しているので、相手が辟易している状態だ。

 電凸の際、彼らは非常にまったりとした受け答えをする。あーその件ですか?担当者は食事に行っております。若しくは外出中です。ひょっとしたらもう帰ったかもしれないのでもう勘弁してください。と、こんな感じで。イメージとしては盛んにちょっかいをかけるハエを煩わしそうに尻尾で追い払うカバといった風だ。

 ところが昨日の映像を見る限り、彼らはまるで別人のように、溌剌とし、キビキビと動き、支援者を引っぺがしたり、ホームレスを追いやったり、ダンボールとブルーシートをガシガシ分解、粉砕している。やれば出来るじゃん。何故その俊敏さを日頃の業務で発揮しないんだろう。


 もう一つ、突込みどころがある。彼らは大阪市の公務員である、市民の為に働く公僕のはずである。にも関わらず、この行動に関して言えば、どの市民も相手にされていないのだ。

 この強制排除は近隣住民の為、街灯工事を円滑に進める為の行為である、というのが、一応「錦の御旗」になっているけれど、長居公園に住んでいるホームレスは、別につい最近突然住み着いたわけではない、何年も前からそこにい続けているのだ。長ければ02年の日韓W杯が終わってから、5年くらいいる人もいるのではなかろうか。

 もし本当に近隣住民の為を思っているのであれば、ずっと以前にこういう事をしていなければいけない。しかし今の今までそうした市民の不安など棚上げにされ続けてきた。それを今になって「近隣住民云々」と持ち出されたのでは、二重の意味で納得がいかない。


 もう一つ言うと、ホームレスの中には大阪市の失政の犠牲者が、ある程度いる。実数なんてカウントしていないけれど、確実にいる。忌み子のように嫌われているけれど、その何人かは大阪市という腹から生まれてきたのだ(この場合、ホームレスを生み出したのは「社会」などという漠然とした集団ではなく、大阪市というはっきりとした定義づけができる集団なので前述の文章とはパラドックスにはなっていない。つもり)。

 しかし一度人間として生まれたからには、生きていける限りは生きていたいと願うのは当然であるわけで、ホームレスといえど、上昇志向のまるでない論外は別にして、ある程度まっとうな思考が出来る人達は、せめて人らしい生活がしたいと思っているだろう。

 だが「母親」の彼らに対する支援は、あまり効果的ではないし、規模も小さい。話によると予算規模は年間15億円くらいらしい。長居スタジアムの改築費が19億5000万円だから、ハコもの優先の行政と言われても文句は言えない。

 それを改めるでもなく、また改めようと思うでもなく、彼らは実に溌剌と執行を執り行っていった。そうしてまるで肌荒れをファンデーションで覆い隠すように、長居公園を一見穏やかな、ありふれた都市部の公園へと繕っていった。


 それでも肌荒れはずっと残っているわけで、化粧を落とせば酷い有様なのに変わりは無い。本当の素肌美人になりたければ、体の中から正常化しなければいけない。なのに事そういうことになると、彼らはまた鈍重なカバの様に、のたりのたりとしか動かないのだ。大阪市とホームレス、本当にタチか悪いのはどちらなのだろうか?

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