2/28/2007

言葉が必要な理由。

 最近時間が有ると、「パトロン」というリンク集を覗く事にしている。

patron.JPG


 このリンク集、イラストレーター、フォトグラファー、デザイナーといった、いわゆる「クリエイティブ」なお仕事をしている方達のサイトを紹介しているものなのだけれど、とにかく数が半端ではなくて、一日一サイト見ていっても一年くらいは余裕でかかるという膨大さなのだ。

 勿論このリンク集にサイトを載せていないクリエイターも大勢いるだろうし、日本がそれだけ大量の才能達を生かしていける土壌がある、という事にも驚いたりする。逆に言うとそういう才が無ければ生きていけないのかも。


 いろいろなサイトを「乱読」していて思ったのだけれど、皆個性を生かそうとしているにも関わらず、何故かトレンドというか、流行のようなものがあるようだ。

 例えばイラストレーターやフォトグラファーの場合、イラストや写真が売り物なので、他のエッセンスは極力地味にしている。フォトグラファーのサイトのバックは白か、薄いベージュか、黒が殆ど。ソフトな作品を撮る人は白かベージュ、スキャンダラスなものを撮る人は黒が多い。

 一方デザイナーはサイト自体が作品なので、有らん限りの技術を駆使しているページが多い。全画面フルフラッシュのページなんかは序の口で、その分ページ間の移動がもっさりとしていたり、やたら「Now Loading」のページが出てきて、少し面倒な感じがする。


 私は写真が好きなので、特にフォトグラファーのサイトをよく見ている。やはり綺麗な写真を見ると、ちょっと気持ちが落ち着いていい。私の場合とかくキャプションをつけたい衝動に駆られたりするのだけれど、上手いフォトグラファーの写真というのは、その一枚だけで、十分に相手の気持ちに飛び込んでくる。キャプションの必要に駆られるというのは、それだけ技術が未熟なんだろう。


 そう、世の中にある不必要なものの殆どは、必要なものが無い為に、その代替品として存在しているのだ。


 私の場合、もっと人に上手く気持ちを伝える術を知っていたなら、写真もイラストもブログも要らない。でもそんな離れ業が出来ないので、こうしてキーボードを叩き続け、マウスをカチカチやっているのだ。


 もう少し人生に余裕があれば、そういう術を磨く時間も出来るのだろうけれど、そんなものが無い以上、もう暫く、ブログに記事を上げ続ける日々が続くのだろう。

0 件のコメント :

コメントを投稿