10周年記年にウインクもらいました(うそ) |
10年も同じこと続けてるのって、すごいなと自画自賛した後に、ちょっとばかり考えて、10年間進歩ないってことだろうとあわあわしている。あわあわ。
最初の動機はすごく単純で、ただ書きたい、それがたまさか他の人と共鳴したりしたら嬉しいなって、それだけ。そして、その気持ちって、今も変わっていない。
なので、モノによっては酷く不愉快になるものとか、悪ノリなものとか、確かにある。ただ、その自分もまた、偽りない自分であるので、あー、バカやってるな程度に見てもらえると、ちょっと嬉しい。
写真も、セレッソありーの、好きな本屋ありーの、食べものありーの、そんな感じ。
さて、ここからはチラシの裏みたいな話。
人間や、人間の集合体である組織は、みんなに認めてもらえたり、それでメシが食えるような、長所、才覚と呼ばれる部分だけでできているわけではない。短所だってもちろんあるだろう。
俺の場合は、段取りが悪かったり、急に空気も読まずに突拍子もないコトを考えついたり、またそれを実行してしまったり…。短所を書き出すと般若心経みたいになる。セレッソだと、ハナサカのユニフォームが開幕間に合わないとか、まあ、いろいろ。
ただ、長所、才覚にしても、短所にしても、そこを含めて一人の人間、組織なわけで、何かを大切にする、誰かを愛する、好きになるってのは、短所も含めて大事だと考えているって意味にとらえている。
これを前置きとした上で、改めて言いたい。俺はセレッソが好きだし、セレッソに関わる人が好きだし、他にもいろいろと、たくさん、好きなヒト、モノ、コトがある。本当に、たくさん。全てのヒト、モノ、コトの、長所も短所も、好きなんだ。
そうして、俺もまた、俺の長所も短所も含めて、大丈夫だよ、そこにいていいよと言ってくれる人に対して、全力で生きて行きたい。
次の10年、ブログってメディアが残っているのかよくわからんし、違う方法で発信を続けていくかもしれないけれど、とにかく、書いて、撮って、残すことで、誰かの何かになっていくように、やっていければなと思う。
最近、今までまるで接点が無かった人に、ブログを通じて何かを伝えられたと実感できたことがあって、やっぱり、そういうものが俺には似合ってるのかなと感じた。それで、こんなに続けられたのかなと。
そんなドラマティックな感動話がおいそれとあるわけではないけれど、まあ、その1つのエピソードだけで、十分なモチベーションになった。その人には、もう頭上がらないな。
だから、これから何かを書く時は、そんな、待ってくれている誰かの顔を思いながら、心を感じていきながら、やってくつもり。 自分にできる全てで、笑わせたり、喜ばせたりしたい。そんなヤツが一人くらいいてもいいでしょう?
というわけで、またしばらく、よろしくお願い。
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