1/13/2016

花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ #cerezo #photo #diary @PabloFelipe92


中国、唐代の詩人に于武陵(うぶりょう)という人がいる。彼は「勧酒」という漢詩を残した。

勧君金屈巵
満酌不須辞
花發多風雨
人生足別離

これを明治から平成まで生き抜いた小説家、井伏鱒二が和訳する。

コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

日本語は、本当の事、伝えたい事を書かない。「好きだ」と言わず「月が綺麗ですね」と言う。そうして聞き手が考える余地を与える。不思議な言語だと思う。

「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」という和訳にしても「今まさに別れの時、酒でもついで悲しみ無く別れよう」という解釈と、「人生は別れの連続だから、一つ一つの出会いを大切にしよう」という解釈があるようだ。俺は訳詩を一読して後者の印象を受けた。

サッカーというスポーツにのめり込むたびに、この訳詩が頭のなかをグルグルと回る。一見理不尽な契約満了や移籍がたくさんあるのがこの世の常だから。


昨日の朝メールをチェックすると、Ciceroからのものが届いていた。Ciceroはパブロ(@PabloFelipe92)のお父さんで、去年の年始に舞洲でスマホの電源を貸してから友達になった。俺は日本人相手では図々しいと思われる性格だけれども、外国の人からするととっつきやすいものらしい。

メールはポルトガル語だったので、google翻訳にペーストして直訳させる。そこには残念な知らせが記されていた。パブロはセレッソとはレンタル移籍の期間延長をしない、他のクラブとサインをするというものだ。

同じ日、今度はガンジーさんが福岡と契約したことを知った。数多の外国人に、通訳としてだけでなくよき友人として接し、生活を支えたすばらしい人格者をセレッソは失うことになったのだ。


今期の戦力推移を見ると、山口蛍、染谷悠太、吉野峻光、永井龍を放出、岡田武瑠を戦力外としたものの、柿谷曜一朗、杉本健勇、丸岡満、清原翔平、松田陸、山村和也など、一見戦力過多かと思えるほどの補強を行っている。攻撃陣に関しては去年とは別チームになるのではとさえ思える。

ただ一方で、ガンジーさんであったり、鹿島のコーチに招聘された羽田憲司であったり、セレッソのために働いてくれたスタッフが去り、寂しさを禁じ得ない。


2014年のセレッソはディエゴ・フォルラン獲得という一点豪華主義が失敗に終わった。これはフォルランを活かす環境が整っていなかったことが原因だ。

ガンジーさんや羽田コーチのような縁の下の力持ちがいなくなることで、せっかくの補強が無駄になってしまわないか。パブロのようなムードメーカーがいなくなることで、チームのバランスは崩れはしないか。そればかりを案じている。

特に気をもんでいるのは監督人事だ。伝え聞く限りではあるけれど、去年あれだけ「期間限定」とうたっていた大熊清監督に今年も指揮をとらせることについては、かなりの紆余曲折があったそうだ。内部での揉め事を聞いていると、そんな脆弱な土台でチーム作りをしても結果が出るのかとまた不安になる。

サポーターなんてものは、クラブに関して支払ったチケット代やグッズ代以上の権利は持たない。なにをどうすることも出来ない。ただ目の前のチームを応援するしかないしがない存在だけれども、だからこそどうあるべきなのかを真摯に考えもするのだ。


できれば、ガンジーさんにも羽田さんにも、チームを離れることになった全ての人にも、なみなみと酒を注ぎ、労いと別れの言葉をかけたかった。せめてスタジアムで相まみえる時にでも、一言声をかけたかった。しかし、今のセレッソにはその権利がない。福岡や鹿島と当たりたいなら、今年このJ2を勝ち抜けするしかないのだ。それまでは、彼等のために用意した酒はどこかにしまわなくてはいけない、寂しい話だ。

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