4/25/2016

札幌×セレッソ戦で起きた事をセレッソ大阪サポがどう感じたか札幌サポの多くは理解していない #cerezo #セレッソ #セレッソ大阪 #consadole #北海道コンサドーレ札幌


まず前置き。この文章は当然ながら俺一人の感覚と思考によって書かれた文章であり、サポーターの総意ではない。むしろ末席から漏れた戯れ言のようなものだと考えていただきたい。

昨日の夜、面白い文章が流れてきた。この「面白い」にはポジティブな要素は殆ど無い。ジャングルで写真を撮っていたカメラマンが猿にカメラを奪われ、取り返すと猿自身が撮ったものと思われるデータが残っていた。というニュースで「猿って写真撮るんだ」と感じたのと近しいものだ。ソフトに表現すると、ああ、あそこの人はこんな事考えてるんだくらい。


この文章を呼んだ感想を素直に書こう。

「そんなん知らんがな」

後は……そうだな、少し大人げないな。


どこのチームでも移籍に関するゴタゴタなんてあるものだし、好きなチームにライバル、もしくは目の敵のようなものが存在するものだ。最近の事例であれば、サンフレッチェと広島の自治体、経済界の首長たちなんかが分かりやすいだろうか。畑違いでも、同じスポーツのチームでも、憎い相手なんていて当然だ。

しかし悲しいかな、例え当事者が大事だと感じたことでも、余程のことでなければ外野は知らない。そして知る必要もない。


例えをひとつ出そう。このブログの中に
そして、コンサドーレ札幌と日本ハムファイターズは、日本ハムが札幌ドームにやってきてから色々ありました、本当に色々ありました。
これは他地域に住んでいる人にはあまり理解できないかもしれませんが、セレッソ大阪サポにわかりやすく例えるなら、

セレッソ大阪に対するガンバ大阪、みたいな感覚かもしれません。

という記述があったけれど、「あなたはセレッソとガンバの間にあった全てを理解した上でこの文章を書いたのか」と聞いてみたい。あの記事に書かれていることに同意した人に対しても、「あなた達はセレッソとガンバの間にあった全てを理解した上でこの文章に共感したのか」という質問を投げてみたい。

多分、推測ではあるけれど、キチンと理解している人なんてほとんどいない。「そんなこと知らない」という人だっているだろう。

そうなのだ。セレッソのサポーターにしたって札幌という応援していないチーム、ライバルでもないチームの事情なんて知らないのだ。そんな「どうでもいいこと」をわざわざ「分かってないなあ」と言われても「知らんがな」としか答えられない。ただブーイングの品の無さだけがクローズアップされるだけで。


それから「お前の言うことなんてしらんが、こっちの主張を理解してくれ」という行為があまり共感されないことを理解していないと強く感じた。例えば

だから、この段幕は、この例えでいうなら「パナソニックいつもありがとう」みたいな感じなんです。

ん?ピンときませんか?

ピンとこないのはセレッソ大阪サポ集団のあの煽り段幕のセンスが悪いからです!!!

という下りだ。センスのあるなしを自分の物差しでしか測れないと自ら吐露している。

センスの優劣やあるなしは、かなり曖昧模糊とした基準だ。

例えば、フィンセント・ファン・ゴッホは生前描いた絵を絵の師匠からボロクソにけなされ、生きている間に売れた作品はわずか1点、およその人に理解されないまま37歳で自殺している。しかし今、彼の絵を手に入れようとすると数億は必要になる。センスなんてものはそれくらい多様で、ころころと変わるいい加減な物差しなんだ。

もうひとつ例を出せば、女性のファッションなんてのもそうだ。あるファッションが東京で流行したとしても、パリではダサいと思われたりする。極端な話、どこかの島では太っているほど美しいし、どこかの部族では首を長くするのが流行だったりする。

札幌のセンスがよくて、セレッソのセンスが悪いと感じる人がいるように、セレッソのセンスがよくて、札幌のセンスが悪いという人もいる。それが分かっていない、分かろうとしないから「センスが悪いからです!!!」と断じられる。


さて、これだけのことを書いた上で、札幌のサポーターにご理解いただきたいことがある。

山下達也は森島寛晃の引退試合で、森島が「もういいって」と言うまで肩車をした優しい人間だ。降格した時もセレッソに留まってくれた。彼を好きなサポーターはたくさんいて、セレッソの選手の中でもひときわ愛されている。


どうだろう、札幌のサポーターは上の段落を何の抵抗もなく受け入れられたろうか。

理解できなかった?腹が立った?正解だ。俺は札幌サポーターが共感できないような挑発的な文章を書き並べたからね。


自分たちの価値観を他者に理解してもらうという行為は、それ自体無意味だったり生産性が無かったりする。札幌でもそうだろうが、大阪にいるとひときわ強く感じることができる。

セレッソのやり方、価値観に同意できるからセレッソが好きになる。一方それが分からないという人はガンバに行く。サッカーなんて知らないという人は阪神やオリックスを観るだろうし、そもそもスポーツを観ない人が大多数だったりする。それを無理矢理に理解させようとするなんてひどく無駄な行為だ。個々の好き嫌いに任せればいい。


「価値観のほとんどがかみ合わないけど、サッカーが好き、おらが町のチームが好き」という他者を受け入れなければ、サッカーは始まらない。その大前提を乗り越えて自分の価値観を押しつけたってただ不快なだけだ。

それを理解してくれたなら嬉しいな、あまり期待はしていないけれど。

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