8/08/2008

最近の応援に関する私的感想。

 これから書くのはあくまで私的感想というやつで、そこ違うぞ、ここ間違っているぞ、という箇所が多分に出てくると思う。ただ個人の知りうる限りの情報と経験と体験から導き出した考えと、ご容赦願いたい。サポートについてのお話…。

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 しかしながらサポーター論なんて事を言い出すとややこしい話になる。チケット代、遠征代をカツカツの台所事情からひねり出し、ゴール裏で声を出すのもサポートなのだけれど、ポンと年間指定席代を出された方が事業部的にはサポートされているという実感がわくだろうし…。

 私も以前はゴール裏にいたけれど、今はバックスタンドにいるし、声を出していたのも最近は控え目で、もっぱらD200で試合の写真を撮っている。本来のサポートとは程遠い。

 ただセレッソに対してプラスになることは積極的にやろう、という気持ちは変わっていないつもり。スクールのコーチの方にブログの記事の書き方をメール出したり、カメラマンやってみたり、地元のお店を紹介してみたり、スタジアムでは全然関係の無いことでも、サポートは出来るから。

 今回はそういうのを抜きにして、狭義での、つまり飛んで、跳ねて、叫ぶサポートについて。


 正直今のサポートスタイルがセレッソにとってプラスになっているのかどうかというのはよく判らない。チームがよく動く、サポーターがそれに乗る。サポーターが勢いをつける、チームが回りだす。そういう状況が少ないかなというのは感じるけれど、応援もプレーも人間が、しかも団体でする事なので(個人プレーもあるにはあるけれど)停滞や後退があるのは、致し方ない部分もあるかな、というのが、第一の感想。

 同じ人間が同じ事をやっても、結果が違ってくるというのは当然で、メンツは変わっていないのにグレードというか、熱気が落ちているのも、チームを取り巻く状態を鑑みると、むべなるかな。


 それで応援をしている既存のグループを非難するのは容易いし、今なら不満を持っている人達を集め、流れを呼び込めば与野党逆転も可能かもしれない。停滞を打破し、旧体制を打倒し、新しい流れを生む。聞こえはいい。聞こえはいいのだけれど、そこから先が問題になる。旧体制よりもよい応援をするのは第一、それを維持し、出来れば拡大し、持続させ続ける。それが出来なければ内部闘争というか、内ゲバというか、そういう話で終わる。

 実際「今の応援はアカン。何か違う事をしよう」という人は、意外とというか当然とというべきか、私以外にも沢山いる。ただ批判はすれど対案なし、という場合が多いように思う。それは私も同じ。なので私は、私なりに出来るサポートをするようになった。聞こえはいいが撤退と同義だね。


 悲しいことかも知れないけれど、夢の舞台であるはずのスタジアムであっても、そこが人によって作られたものである限り、変化を起こす為には現実と同じく社会性とか社交性とか、ソーシャルスキルというものが必要になってくる。悪く言うなら、根回しとか手練手管とか、そういう類の力だ。

 今純粋にセレッソを愛し、現状を憂いでいる人達の中には、純粋にチームに忠誠と情熱を持って接しておられる方が多数いるかと思う。しかし本当に変わる為、変える為には、生理的に汚いと感じる事でも、進んでしなくてはいけない。そこがセレッソのサポートが変化しない大きな理由だと、私は思う。


 私にはもうそういう情熱も野心も無くなってしまった。歳をとったからか、面倒だったからか、単に逃げたのか…。もしそういう事も含めて先頭に立ちたい、という人間が現れるのなら、歓迎するだろうね。情熱は今一番応援に足りないピースだし。そういう存在が現れていないのも、閉塞感を生んでいるの因子なのかな…。

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