舞洲に来ていた。
ずっと仕事ばかりで、精神的にカラカラ。で、それでは心の栄養補給をしようと、一番心がワクワクするスポットに繰り出したんだ。試合が観たいけれど、天皇杯も徳島戦も仕事で観られそうにないし。
今年はランコ・ポポヴィッチ、マルコ・ペッツァイオリ、大熊裕司と、三人の監督の指導や練習方法を観ることができた。それは、本来はいけないことなのだけれど、もうそういうのも含めて楽しまないともう精神的に持たない。それぞれ特色があり、こういうことがしたいのかというのが易く理解できた。
ポポヴイッチの指導はシンプルなタスクの組み合わせを積み重ねていくものだった。パスならパス、ランならラン、そんな、パズルのピースのように細分化されたプレーを試合で組み合わせていく、それがポポヴイッチのサッカーだった。だからピースの継ぎ目継ぎ目が脆くて、流れが分断されてしまったところがある。
ペッツァイオリはとにかく攻撃のスピードを重視していた。ゴール前に早くボールを運び、クロス、ショートカウンターで一気に決めきるのをよしとしていた。ところがビルドアップの部分が今までのセレッソとはまるで違って、齟齬が出て、得意の形をなかなか出せなかった。
そうして、大熊監督の指導の根幹を短い言葉で表現すると、運動量、反射的な判断、連係、この三つを大事にしているように感じる。シンプルに言い切ると前からプレスをかけ、相手をサイドや狭い地域に押し込めてボールを奪い、そこから人数をかけて攻めきる。奪われたらまた前からプレス、その繰り返し。
一見がむしゃらだけれども、実際これをキチンとするとなると相当の献身性やインテリジェンスが求められる。どこで積極的にプレスすればいいかとか、誰が前に行ったから自分はどこに行くだとか、奪ってから相手が守備を整えるまでにどこにボールを渡せばいいのかとか。それを極々短時間で、刹那の間に決断しないといけない。そうしてそれを90分続けるのだ。地頭の良さというか、そんなものが求められる。
「そこ○○がプレス行ったらどう動くんだよ!一人で行っても外されるだろ?もっと考えろ!!」
大熊監督の野太くてデカい声が響く。
すると扇原貴宏や藤本康太、ディエゴ・フォルランが身振り手振りでポジショニングの微調整をする。そうしてまたハードなメニューをこなす。カメラで追い切れないほど素早い受け渡し、プレス、ラン。ユース上がりの監督とユース上がりの選手、やりたいことは分かっているんだろう、信じているんだろう。だから、あのスピードが出せるのだと感じた。
正直なところ、攻撃の引き出しはまだ少ない、受けに回ると建てなおすのにも時間がかかる。それでもこのサッカーを信じて、ハードワークをこなすしか、セレッソに手は残されていない。なら、こっちも声を出し、ハードにサポートしていく、それだけだな。
早くみんなで笑おうぜ。
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