2/02/2014
ツイッターだけあればいい。 #cerezo #photo #diary
時々、もうブログはブログとしての使い方をやめたほうがいいんじゃないかと思うことがある。
そもそも、ブログは「簡単に更新出来て、情報発信がすぐできる簡易ホームページ」として始まったサービスだ。
確かに、専用のプログラムも知識も必要なく、ブラウザとネットに繋げる環境があればどこでも更新が可能なメディアは重宝された。でもそれは、TwitterやFacebook、LINEといったメディアが登場し、浸透する前の話だ。
今は誰しもがどこへでもスマホを持って出かける。気になったことはすぐにツイートしたり写真を撮って発信したり、とにかく早い。その気になればこの世がひっくり返るような大事な情報が1分程度で作成され、発信される。ブログだとそれなりに簡素化しても家でチマチマと書くか、携帯の小さなボタンをフリック入力しながら悪戦苦闘することになる。
実例は、まあ適当に。某選手が彼女と町中を歩いてたとか、どこぞのコンビニで何かを買っていたとか、そんなのだ。それがその日のうちに知り合いの知り合いの知り合いあたりからドサッと流れてくる。公式サイトに謝罪文が載った一件も、拡散したのはTwitterだ。
で、ブログの中には奇特にも特定の個人であることを標榜する人達が数%存在するけれど、TwitterやLINEでそんなことをするのは、有名人や政治家など、特定の個人くらいだ。発信する場所があって、責任をとらない環境があれば、情報は加速する。
去年のサポコンでは、事前に公式から「情報の発信はおやめ下さい」という通達があったが、ほぼリアルタイムで柿谷曜一朗が背番号8を背負ったことが発信されていた。
でも、それを「嫌なこと」として否定しようとは思わない。流れがあるのなら、その流れを利用できるよう、気をつければいいだけの話だ。サポコンでもとくに規制などせず、商売に利用できる形に整えてやればいいのだ。
ブログは、今はまとめブログとか、2ちゃんねるから吸いだした情報を加工したものや、ポータルな情報取得源として成り立っているものが殆どだ。でも、それはそれでありなんだろうし、でも、そういうブログもそのうち廃れていくのだろうなとも思っている。
情報を「まとめる」なんて必要は、洗脳するとか先導するとかいう意図がないならまったくいらない。情報にいいも悪いもない、それを取捨するのは選択する側、だから、ひたすら流すのだ。そうすれば、互いの情報が共有され、広まり、今まで知ることのできなかった仔細なことまでわかるようになる。人には知りたいという欲求がある、だから、これが一番良いと、俺は考える。
この何年かで、ここも変質していくはず。それを受け入れてもらえるのか、少しは不安であるけれど。
とりあえずなっちに誰得画像でも載せとくか。
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