アリとキリギリス、日本人が好きな童話だ。春の心地よい日常にも、夏野暑い盛りにも、秋の豊穣の時にも、コツコツ蓄えを増やしていったアリは素晴らしい。キリギリスは働き者ではないから冬に痛い目を見た、というお話。
俺はいつも疑問に思ってた。春も夏も秋も楽しまず、冬をやり過ごした先には、また楽しくない春があり夏があり秋がある。それって、あんまり幸せじゃないかなって、そう感じたんだ。
俺は、どっちかというとキリギリスだ。その場その場でもっとも「悦」な方を選ぶ。女のケツを追いかけるし、好きなものを好きなだけ撮るし、本当にその時に最も楽しいことしか選んでない。
だから、いつかあのキリギリスのように、野垂れてしまうんだろうなって予感はしてる。きっと、ロクな死に方しないぞこれは、ってね(笑)
それでも、胸はって言えるのは、「楽しい人生だぜ!」ってこと。そりゃそうさ、その場その場で一番楽しい選択をしてきたんだ、楽しくないわけがないさ。
5月の名古屋の蒸し蒸しした暑さも、4月の箕面の桜が舞い散る中のドライブも、長居であった諸々のことも、いたるところで撮りきったサッカーシーンの数々も、素晴らしい体験だった。こんな濃い人生を歩んできた人、俺くらい幸せな想いをした人は、世界にそういないだろう。
だから仮に冬が来て、野垂れてしまったとしても、きっと今際の際まで楽しいなあって言えるんだと思うよ。
仕事はまだあるから、しばらく死にはしないんだけどさ、ひょっとしたらすぐに冬が来て、キリギリスの俺がいなくなる時が近いかなって予感がしてるんだ。でもその前に、俺に関わった仲間や、女や、家族や、そんな諸々のために残しておきたいんだよ。俺が確かに幸せだったって事を伝えておきたいんだ。
箕面、鯖江、能見、河内長野、みんな、美しい思い出だ。どうか、幸せにな。どいつもこいつもいい女なんだから、そうならないとダメだぜ(笑)
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