9/09/2008

ココロのチカラ。

 代表戦はなんとしても観ようと思っていたんだけれど、目覚ましをかけそこねて仮眠が爆睡になってしまった。そんなでもちっとも悔しくないというか、「しまった!」という気がしない。多分自分と自分の愛しているチームがあまりにも代表からは遠ざかってしまったからだろう。香川が代表定着なんて事になればそれは嬉しいだろうけれど、手放しで喜ぶ状況でもないしね。


 というわけでこのところは更新も少なめ。仕事が忙しくなってきたというのもあるのだけれど。それでも少しでも熱意とかあったら何か書くよね、アンセムの話とか。


 そうそう、この熱意とかいうやつだ、厄介なのは。今日の話題はこれ。

 熱意があれば何でも出来るってわけではない。なのに日本人というやつは(私のまわりだけかも知れんけれど)物質的に欠乏した部分を、この精神力とかいうまだ得体の知れない力で補おうとする。

 そのくせ鬱病だのという話になると

「気の持ち様で何とでもなる」

 と来る。どうにもならんから精神科というものがあるのだけれど…。


 こういうご都合主義が蔓延していると、私の知り合いのように反吐を吐きながら仕事をするようになる。一日の睡眠が2時間とか、一月以上休みが無いなんて状況を会社がほっぽってしまう。日本人は精神論が好きなのに、ココロを愛する気持ちが少ないのと違うかな。


 私の大叔母さんも大叔父さんが他界してから徐々に気が塞ぎがちになり、最近では外に出かける事もあまりなくなってしまったらしい。それだけ大叔父さんを愛していたという事だから、それはそれで素晴らしい事なんだけれど、憂鬱な日々を過ごされるのは話が別で、出来れば明るく生きていてほしい。でも誰もどうすれば気が明るくなるのか分からなかった。

 しかしあんまり様子が暗いからと、つい最近叔父さんがドライブがてら大叔母さんをつれて私の妹夫婦の家に遊びに行ったらしい。それが良かった、妹夫婦のところには一粒種のよしとくんがいたのだ。

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 よしとくんは子供ながらに塞いでいる大叔母さんを気遣い、お菓子をあげようとしたり、なついてひざの上に座ってみたり、とにかくこども心にどうすれば元気になるのか、いろいろ試行錯誤したようだ。その様子を見た大叔母さんは大いに喜んで、また遊びに来たいと口にしたらしい。そんなことを言ってくれるとはと皆が驚き、喜んだ。


 子供から大人になる事を、普通は「成長する」と言うけれど、ホントは単なる「経年による変化」なのかも知れない。今の私によしとくんのような芸当は到底出来ない。傍で困っている人がいても、多分それを助けようとする余裕が無い。こういうのは成長とは呼ばない。いつからか大人になって、知らない間におっさんになったわけだけれども、その間にいろんな大切なものを置いていったり、忘れたり、しまいこんだりしてしまった。後悔しても後戻りは出来ない。取り戻すことはかなわない。まだそれを知らなかったほうが幸せだったかね。


 そうして私は歳をとり、皺が増え、髪は白くなり、全体的に困ってしまうほど薄くなり、腰が曲がり、何もかもを少しずつ忘れて、何れ消えてなくなる。それまでの間に何度も憂鬱な気分を味わうのだろうね。人生って厄介だ。せめて救いがあらん事を。例えばJ1昇格とか。

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