ウソ、まだ引きずってる。それでも書くぞ。
レヴィークルピはシーズン前にこう言った。
「貴方たちサポーターは私たちの心臓なんだ」
と。
心臓が止まったら、当たり前だけれど、人は死ぬ。どんなに屈強でも、一秒前までピンピンしてても、絶対に死ぬ。
反対に心臓さえ動いていれば、何とか生きていける。腕が動かんとか、耳が聞こえないとか、精神的にキてるとかあるかもしれないけれど、とにかく「生きている」という状態は保てる。そして人生は、生きている限り何が起こるか判らない。サイコロをまだふれるのなら、逆転の目が残っているなら、そのサイコロはふらなきゃいけない。一節前に自分で言ってたこと、忘れるところだった。
チームの心臓が私らなら、私らからあきらめたらいかんと思う。それはすなわちセレッソの死、今期の終わりと同義なんだから。選手がスタジアムのピッチに出てきた時、スタンドがあきらめムードだったら、戦う気が起きるか?逆にピリピリするくらいの期待と緊張感があったら、あきらめようと思うか?
例え最後の一人になっても、可能性が0になるまで戦うんだ。戦う気でいるんだ。これが戦争だったら、引き際ってのもあるかも知れんが、サッカーじゃバカと無理をしない限り死人は出ない。それなら、最後まで行こうぜ。何かが待ってるラストまで、せいぜいハッパかけてやろうぜ。そういうもんだろ、勝負事って。
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