12/28/2011

好き嫌いの問題か?

久しぶりに首をひねる話を読んだので書いてみる。

きっかけは松本山雅と長野パルセイロ、そして北信越フットボールを追いかけたドキュメンタリー「クラシコ」について。Twitterで(当時)同じリーグにいた長野サポや金沢サポなどが松本サポの「仕掛け」について、一部ネガティブなツィートを続けていた。詳しいところは

松本山雅サポーターのプロレス的手法

こちらを見ていただきたい。


個人的には、こういう考え方はマイナスだなという印象。

J1のチームでさえメディアへの露出は限られていて、限られた予算や環境の中でどうやったらいろんな人に認知してもらえるのかに四苦八苦しているのが実情。

その上いっちょ前に規制だけはたくさんあるので、クラブだけではゲリラ的な宣伝広報なんてのができない。したい、できると算段しても部署のトップを納得させたりするのにとんでもな時間がかかったりして好機を逃すのだ。

だからこういう取材なんてのがあったらサポーターレベルでバカになって、バカのふりでもして「こいつらおもしれー」という印象を持ってもらわないとどうにもならない。もしサポーターがスカしてたら次なんて無い。


それを「努力」ととるか「こすい」ととるかは自由だけれど、松本のやり方は今のところギリギリのラインでセーフで成功しているわけだから、後付でこういう物言いをしても、部外者には「ひがみやっかみ」にしか聞こえない。

もし「山雅バカヤローだな」と言いたいのであれば、後追いでも他の方法でも構わないから何かしらの成果を上げて、クラブのカテゴリーなり集客能力なりで上回ってみせてから、ドヤ顔で決めてしまえばいいのだ。


もちろん、こういうやり方が全て賞賛するべきものではないとは知っている。仮想敵を作り、攻撃することでサポーターを団結させたり応援を盛り上げたりするやり方は、お隣の一部のサポーターが確信犯的にやってきていて、当事者として、そらアカンやろと言いたくなるような事象を何度も見てきたから。

それでもクラブが露出したり、何かしらのタイトルや結果を残したりするために何をするべきかを理解しようと努力し、行動にうつしているという一点において、彼らは評価されるべき存在だ。


学校で美学だのなんだのを勉強してきた人間が言うことではないが、美意識だけでは選手は食えないし、チームは強くならんし、スタジアムは埋まらないのだ。

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