何が起るか分らない。まだ困難が控えている。
しかし、それは私には問題じゃない。私は山の頂きに立ったからだ。
誰しもが望むように私も長生きはしたい。
しかし、今、私にはそれもどうでもいいことだ。私は神の望まれることをするまでだ。
神は私に山の頂きへ行くことをお許しになった。そこで、私は約束の地を見た。
そこへあなたがたと一緒に行くことは出来ないだろう。
しかし、今夜、あなた方に知って頂きたい。私たちは約束の地へ行けるのだ。
だから、私は今夜幸せである。何も心配せず、誰をも恐れていない。
Martin Luther King, Jr. 1968/4/4
「どうしてそんな写真が撮れるのですか?」
もうすぐ日が暮れる長居公園で、寒空の下聞いたその問いかけに、俺は最初
「たくさんのことに気づくことだよ。光がどこから来ているか、反射しているか、どうフレーミングしたら絵が決まるか、たくさんのことに気づくんだ。」
と答えた。
でも、大事なことを伝え忘れていた。俺には写真しか無いのだ、それだけのことなんだと。
文章が少しと、あとはカメラの扱いが長けているかどうか、それさえ他人に比べれば平々凡々としたもの。幸いに皆の趣味嗜好に合う写真が撮れているという、ただ、それだけ。
後はおよそ人間として並かそれ以下のものしか持っていない。冗談みたいな話ではあるけれど、人がなにを喜び、なにに怒り、なにを恐れるのかさえ分からない。
ただひとつ、自分で「これは」と感じた写真は、他人が見ても「これは」と感じてくれているようだ、それだけは理解が出来る。自分の中にある確実に相手が喜ぶプレゼントは写真だけだ。
サッカーのある週末、みんなは友達や恋人とつれだち、共に喜んだり悲しんだり、感情を共有するのだろう。その間も俺はずっとカメラを持ち続けるよ、それが喜びにつながるのならと願って。
キンチョウは球技専用でピッチが近い、昼間だからクリアな画質が得られるだろう。日光も強く当たっているはずだから、写真を撮るにはいい環境だ。
自分の置かれた状況は好ましいものじゃない、でもそれは自分で招いたこと、だからかまわない。写真以外はどうでもいいことなんだ、長生きしようとか、好かれようとか、何かを成したいとか、もうどうでもいいことなんだ。いい一枚、人がほぞをかむほど心をかきむしる写真が撮れればそれで。
自暴自棄になるなよ
返信削除そうだね。
削除今はとても集中できているよ。最高の写真を撮ることに集中している。
開き直りと自己満足
返信削除セレッソ大阪のこともキズつけてるってことに気が付けよ