4/10/2015

そこへあなたがたと一緒に行くことは出来ないだろう。 #photo #diary

何が起るか分らない。まだ困難が控えている。
しかし、それは私には問題じゃない。私は山の頂きに立ったからだ。

誰しもが望むように私も長生きはしたい。
しかし、今、私にはそれもどうでもいいことだ。私は神の望まれることをするまでだ。
神は私に山の頂きへ行くことをお許しになった。そこで、私は約束の地を見た。

そこへあなたがたと一緒に行くことは出来ないだろう。
しかし、今夜、あなた方に知って頂きたい。私たちは約束の地へ行けるのだ。
だから、私は今夜幸せである。何も心配せず、誰をも恐れていない。

Martin Luther King, Jr.  1968/4/4


「どうしてそんな写真が撮れるのですか?」

もうすぐ日が暮れる長居公園で、寒空の下聞いたその問いかけに、俺は最初

「たくさんのことに気づくことだよ。光がどこから来ているか、反射しているか、どうフレーミングしたら絵が決まるか、たくさんのことに気づくんだ。」

と答えた。

でも、大事なことを伝え忘れていた。俺には写真しか無いのだ、それだけのことなんだと。


文章が少しと、あとはカメラの扱いが長けているかどうか、それさえ他人に比べれば平々凡々としたもの。幸いに皆の趣味嗜好に合う写真が撮れているという、ただ、それだけ。

後はおよそ人間として並かそれ以下のものしか持っていない。冗談みたいな話ではあるけれど、人がなにを喜び、なにに怒り、なにを恐れるのかさえ分からない。

ただひとつ、自分で「これは」と感じた写真は、他人が見ても「これは」と感じてくれているようだ、それだけは理解が出来る。自分の中にある確実に相手が喜ぶプレゼントは写真だけだ。


サッカーのある週末、みんなは友達や恋人とつれだち、共に喜んだり悲しんだり、感情を共有するのだろう。その間も俺はずっとカメラを持ち続けるよ、それが喜びにつながるのならと願って。

キンチョウは球技専用でピッチが近い、昼間だからクリアな画質が得られるだろう。日光も強く当たっているはずだから、写真を撮るにはいい環境だ。




自分の置かれた状況は好ましいものじゃない、でもそれは自分で招いたこと、だからかまわない。写真以外はどうでもいいことなんだ、長生きしようとか、好かれようとか、何かを成したいとか、もうどうでもいいことなんだ。いい一枚、人がほぞをかむほど心をかきむしる写真が撮れればそれで。

3 件のコメント :

  1. 自暴自棄になるなよ

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    1. そうだね。
      今はとても集中できているよ。最高の写真を撮ることに集中している。

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  2. 開き直りと自己満足
    セレッソ大阪のこともキズつけてるってことに気が付けよ

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