俺にとっての「魔女」は母方の叔母のことだ。年寄りなのにファンキーで、ロックで、掟は守ってもルールは守らない、つまり、いい人だ。
1月の間は毎日のように冷たい空気を吸い込んで、魔女とふたりで散歩をした。そうして、その間は現在のこと、過去のこと、生き方のこと、仕舞いのこと、いろいろなことを話していた。でも、仕舞いなんてまだまだ先だよなって笑ってた。
だから、9月の終わりにこんな風に別れが来ることは、驚きと、悲しみの中で聞いた。自分の中でどう解釈していけばいいのかよく分からなかった。
無事に空に送り出せた今は、ようやく何とか腑に落ちるようになってきた。人と同じようにへたり込んで、弱って、細々とステージを去ることがガマンならなかったのだろう。魔女らしく、派手派手しい魔法をかけて、皆の心に居場所が作りたかったのだ、きっと。さすが魔女の術は効く。少なからずの人の中に、自分の居場所を作っていったよ。
舞洲にも一度だけ連れて行ったことがある、やはり今年の1月、チームが始動してすぐの頃だ。山下達也の肉体美が好きだといい、見学用のスタンドから「山下いいぞー!脱いでくれー!!」と絶叫するのを赤面して止めた。俺も大概だけれど、魔女はその上を行く。
パブロやパブロのお父さんのこともすぐに好きになった。若くても人と分け隔てなく笑顔で接するのがいいと言っていた、魔女も男前には弱かったみたいだ。
できればスタジアムにも連れて行きたかった、魔女の体調と、セレッソの調子がもう少し安定していたらな。もう、いつのどの試合でも見に来てこられるから、それもいいか。
叔母のために少なからずの人が哀悼の意を示してくれたことは、甥っ子としてありがたく思う。あまり孝行は出来なかったけれど、精々長生きして墓守りをするよ。セレッソがタイトルをとったら、その写真も送る。だから、それまでは大好きな忌野清志郎の生演奏でも聞きながら、ゆっくりと過ごしていてな。
お疲れ様、おやすみなさい。
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