8/03/2016

柿谷曜一朗のケガについて-誤診だったのか- #cerezo #photo #diary


柿谷曜一朗が昨日、手術を行った。ケガの名称は「右足関節靭帯損傷」全治3ヶ月の重症だ。当初は全治1ヶ月と言われていたケガが、どうして3ヶ月(実際には手術まで1ヶ月待ったのだから、4ヶ月だな)もかかってしまうのか、見知った範囲で書いてみようと思う。

傷病の把握の遅れ


6/8、アウェー長崎戦で柿谷曜一朗は負傷した。俺の知るかぎりの情報では当初「筋肉内出血」だと思われていたらしい。


筋肉内出血とは、文字通り内出血が筋肉の中で起こり腫れができるというもの。本来はピッタリと固まっている筋繊維の中に血溜まりができるので、そこを伸ばすと神経にさわり、痛みが起こる。

このケガの場合は患部の悪化(出血)を防ぐアイシングを行い、出血がなくなってからはギプスで固定する。症状が安定すれば固定していた部分を開放し、少しずつ筋肉を元の状態に戻すという治療を行う。ほぼ、曜一朗が初期に行った治療法とかぶる。

ところが、目安と思われていた1ヶ月が過ぎても痛みが引かず、チームに合流できなかった。そればかりか(本当は完治していなかった)患部を動かしていたのだから、悪化していた可能性もある。

再検査を7/27に行い、「右足関節靭帯損傷」の診断を受ける。そして8/2の手術、8/3に全治3ヶ月と発表された。


たられば、ではあるけれど6月の上旬に「右足関節靭帯損傷」と分かっていれば、10月の復帰もありえたわけで、この1ヶ月間はなんだったんだろうと思うところもある。


関節靭帯損傷って?治療法は?


「関節靭帯損傷」でGoogle検索すると、8/3時点でトップに札幌羊ヶ丘病院整形外科の「足関節外側靭帯損傷(足関節捻挫)」のページが出てくる。だが紹介されている損傷の程度は軽く、靭帯の断裂でもギプスでの固定である程度の治療は可能と記されている。


そしてページ下段には手術をした場合の復帰までの目処も記載されている。

手術後、日常生活復帰に約1ヵ月、スポーツ復帰に約3ヵ月を要するため、手術治療を選択する場合は、時間的余裕と復帰に対する意欲が必要です。

ここでもたらればがある。もし長崎戦直後に正しい診察と処置が行われていたら手術の必要があったのだろうか、ということ。一度はギプスを外し、あちこち動きまわり、復帰に向けて練習も少しずつ開始していた。あれを全て押しとどめて、治療に専念していても全治は3ヶ月のままだったのだろうか?


山口蛍のケガとの共通項


2014年、セレッソが降格した際、山口蛍の半月板損傷が長引いたことが遠因とする話が出た。一度は大阪ダービーでの復帰に向けて練習再開したものの痛みが引かず、再度の診察で半月板損傷だったことが明らかになった、というもの。

柿谷のケガとの流れはほぼ同じだ。負傷し、一度目の診察(誤診?)があり、練習復帰したものの様子がおかしく、 再診察で重症だったことが明らかになる。セレッソは同じ過ちを2度繰り返したことになる。「未然に防ぐ手立てがなかったのか」と考えるのも当然ではないだろうか。


戦力維持について


どれだけ戦力を保持しても、使わなければいないのと同じだ。だが、骨子となるメンバーをローテーションするのもかなり勇気がいる。だから大熊清監督について批判することも擁護することもそれほど難しいロジックを使わないでいい。


ただ、ことケガに関しては擁護する要素は少ないと考える。J1残留に動いていた2014年、2年越しのJ1復帰に挑む2016年、ともに代えがきかない「スペシャル・ワン」を欠いてしまうことになった。

舞洲にある程度通っていれば、他にも公式ページに載らない選手のケガが頻発していることがよくわかる。メディカル面でのケアを見なおしてもらえれば、少しは変われるはずだ。それだけで、残留や昇格、大事な場面で精神的支柱を欠くなどという失態は防げたはずだ。恨み節のひとつもつぶやきたくなる。


とはいえ、全て過ぎてしまったことなのだし「今後は」なにかしらの改善があると信じたい。どうか、来年には背番号8がJ1のピッチに立っている風景が当たり前になっていますように。

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