8/06/2016

お詫びと、これからについて。 #diary

まず、昨今SNS上にて、特定の方から、私に対してと類推される書き込みが多数行われていること。そして、それによって多くの人にご迷惑とご心配をお掛けしている点について、お話したいと思います。

次に、現在私がどう考え、今後どう進もうとしているかをお伝えします。

その上で、これをご覧の皆さんが、私とどのように関係を持ち、どうあろうと考えているか、審判を受けたいと考えます。


まず最初に、特定の方からの私に対してと類推される書き込みについて、です。

これは一部が真実であり、一部が真実ではありません。それは多くの噂話と同じです。発信している人が全てを知っているわけではありませんし、当事者であっても考え方はそれぞれです。

ですが、間違いのない点があります。それは、私が少なくない人に精神的苦痛を与え、「迷惑」の範疇を超えた「被害」を与えたという点です。これは紛れもない事実です。

その後約一年半の間、私は私の考える最善を、試行錯誤を繰り返し、形を微調整させながら追い求めてきました。その間にも様々な人にご迷惑をお掛けしました。これについてもお詫びしたいと考えます、申し訳ないことです。

これが、書き込みに対して私がお話できる全てです。


次に、今どうあろうと考えているかです。

これは単純です。残すべきものを残し、伝えるべきものを伝え、それを是とした人とともに生きていこう、それだけです。

その間できうる限りの方法と考えを持ち、誰彼も不快な思いをさせることのない状態を「最善」と考え、例えそれが出来なくとも、それに親しい形を追い求めていきます。


どんな考えであっても、どんな作品であっても、肯定する人がいて、否定する人がいます。

何万人もの人を殺したドイツの独裁者は、自ら死を選ぶことができました。核兵器を使用した国の指導者は、戦争の早期解決を実現せた英雄として天寿を全うしています。

ですが、彼らよりも多くの人に幸せを与えたリバプールの歌唄いや、インドの指導者や、アメリカの牧師は、誰一人自分の望む最期を得られませんでした。否定する人によって命を絶たれたのです。誰に何が起こっても不思議ではないのです。

これほどの偉人が回避出来なかったことを、私ができるとは思えません。また、そのようにありたいとも願っていません。

残せるものを残し、伝えるべきことを伝えられれば、例え歩みをそこで止めなければならなくなったとしても、それでいいと考えます。大げさですが、それくらいのことだと息巻いているとお考えください。


最期の節は、これをご覧いただいている皆さんの心の中で、皆さんの手で書き記していただきたいと考えます。

つまり、私とどうあるべきかは、当然のことではありますが、皆さんの判断にお任せいたしたい、そういうことです。


これが、「これまで」であり「今」であり「これから」です。

ここまで読んでいただいたこと、心から感謝します。

また、同じ景色を観て、同じ言葉で語り合えるよう願います。それでは。


2016/08/06 西中島南方

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