次に、現在私がどう考え、今後どう進もうとしているかをお伝えします。
その上で、これをご覧の皆さんが、私とどのように関係を持ち、どうあろうと考えているか、審判を受けたいと考えます。
まず最初に、特定の方からの私に対してと類推される書き込みについて、です。
これは一部が真実であり、一部が真実ではありません。それは多くの噂話と同じです。発信している人が全てを知っているわけではありませんし、当事者であっても考え方はそれぞれです。
ですが、間違いのない点があります。それは、私が少なくない人に精神的苦痛を与え、「迷惑」の範疇を超えた「被害」を与えたという点です。これは紛れもない事実です。
その後約一年半の間、私は私の考える最善を、試行錯誤を繰り返し、形を微調整させながら追い求めてきました。その間にも様々な人にご迷惑をお掛けしました。これについてもお詫びしたいと考えます、申し訳ないことです。
これが、書き込みに対して私がお話できる全てです。
次に、今どうあろうと考えているかです。
これは単純です。残すべきものを残し、伝えるべきものを伝え、それを是とした人とともに生きていこう、それだけです。
その間できうる限りの方法と考えを持ち、誰彼も不快な思いをさせることのない状態を「最善」と考え、例えそれが出来なくとも、それに親しい形を追い求めていきます。
どんな考えであっても、どんな作品であっても、肯定する人がいて、否定する人がいます。
何万人もの人を殺したドイツの独裁者は、自ら死を選ぶことができました。核兵器を使用した国の指導者は、戦争の早期解決を実現せた英雄として天寿を全うしています。
ですが、彼らよりも多くの人に幸せを与えたリバプールの歌唄いや、インドの指導者や、アメリカの牧師は、誰一人自分の望む最期を得られませんでした。否定する人によって命を絶たれたのです。誰に何が起こっても不思議ではないのです。
これほどの偉人が回避出来なかったことを、私ができるとは思えません。また、そのようにありたいとも願っていません。
残せるものを残し、伝えるべきことを伝えられれば、例え歩みをそこで止めなければならなくなったとしても、それでいいと考えます。大げさですが、それくらいのことだと息巻いているとお考えください。
最期の節は、これをご覧いただいている皆さんの心の中で、皆さんの手で書き記していただきたいと考えます。
つまり、私とどうあるべきかは、当然のことではありますが、皆さんの判断にお任せいたしたい、そういうことです。
これが、「これまで」であり「今」であり「これから」です。
ここまで読んでいただいたこと、心から感謝します。
また、同じ景色を観て、同じ言葉で語り合えるよう願います。それでは。
2016/08/06 西中島南方
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