2014年、最終節の大宮戦をNACK5スタジアムで見届けた時のことだ。試合は2-0で惨敗、号泣する染谷悠太や丸橋祐介、下を向いたままずっと何かをこらえていたキム・ジンヒョン達を見て、これは出ていってしまうのではと感じた。
それでその日の夜、次の日に予定されていたファン感謝デーに間に合うようにと徹夜をして、自分自身の気持ちを込めて、一本の動画を作った。それが「Cerezo Osaka 2014 - Nakama - 」これからも苦楽を共に乗り越えていこうというメッセージだった。
それから2年が過ぎて、いろいろなことが変わってしまった。けれど、セレッソが未だ「元いた場所」に戻れず、苦しんでいるという状態は変わらない。
この数年の間にセレッソの応援をはじめた子たちにとっては、耐え難い苦しみなんだろうと思う。俺みたいにずっと追っかけていて、3度の降格と5回のタイトル奪取失敗を目にしてきた人間でも相当「来ている」んだから。
この子達はこの子達なりに危機意識を持ち、何かできないだろうかと腐心している。俺の写真を使って動画まで作ってくれる子もいる。そのひとつを見て俺は驚いた。動画のBGMは、俺が作った動画と同じく、ケツメイシの「仲間」だったんだ。
昇格したい!!— ✿ さ き ✿ (@cerezo8saki) 2016年10月31日
残りの試合全部勝とう!!🏆
#セレッソ#昇格
西中島さん(@nsnkjm_soccer )の写真を使わせていただきました。ありがとうございます。 pic.twitter.com/nwthUC4U8q
俺が子供っぽいのか、その子が大人びているのか、そういうのはこの際置いておこう。一番大事なのは、チームとサポーターが一心同体の仲間であるという意識が、若い子の間でもしっかり根付いているのだと感じ取れたこと。そして、自分の力でセレッソをなんとかしようという覚悟があると理解できたこと。それは老い先短い俺にとっては何にも代えがたい喜びだった。
そりゃあ死ぬまでスタジアムに通うつもりでいるけれど、そうしたって10代20代の子よりは早いこと地獄に落ちてしまうだろう。そんな人間にとって、後に続く人の中に、自分と同じ感覚を持ってくれている者が少なからずいてくれるということがどれほど救いになったか。それは、本当に30、40になり人生も折り返し地点を過ぎた人にしかわからない感覚だ。
今まで俺は、俺だけで完結できることは一人でやってしまう悪癖があった。仲間とか友人とかを、作ることも、その関係を保つことも下手くそだから、もう自分でなんとかした方がいいやとあきらめていた。
でも、誰らも考えが届かないだろうとあきらめていた中で、こうした考え方がキチンと芽吹いていたことを、素直にありがたく感じている。
これからもあまり出しゃばらず、俺自身の特技である撮影に専心し、この子達をはじめとした「仲間」たちにとって有益であるようつとめようと思う。俺という絵の具は舐めれば死ぬような劇薬であるけれど、うまいこと利用すればいい絵を描くツールにもなる。それくらいに考えてくれれば幸いだ。
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