11/29/2016

筋肉痛の月曜日と、不思議なプレーオフ当日。 #cerezo #photo #diary


試合のあった次の日の朝は、大抵筋肉痛で眼が覚める。カメラ、もう少し軽くならないかな。レンズ、もう少しコンパクトにならんのかな。そういう愚痴を頭の中で考えてみるんだけど、光学製品の原理原則というものがある。どうしたって2キロ以上の、理不尽なくらい複雑な形の、ボタンやらリングやらがてんこ盛りの物体を、理不尽な体勢で支え続けないと写真が撮れないんだ。

雨の試合なんざ最悪だ。普通の人なら傘やらカッパやらで我が身を守るが、写真を撮るならカメラをかばわないといけない。体で雨露から隠して撮る。別にしなくてもいいけど、いつ修理代うん万とかいう見積書が届くかわからない。やだね。


それでも写真を撮り続けるのは、自分のためでもあるし、セレッソってチームのためでもあるし、セレッソを愛しているサポーターのためでもある。そう信じている。

長崎にもセレサポはいるんだ。

俺の知り合いには色んな人がいる。学生でテストの時は試合に来られない子もいるし、家の用事があるからとなかなかスタジアムまで来られないという人も少なくない。お年を召されていたり、病気を患われている人もたくさんいらっしゃる。遠隔地に住まわれていて、そもそもスタジアムに着くまでうん万円かかるって人もいる。

愛媛でも人気だった。

そうした人たちは、セレッソの情報を得ることすら困難だったりする。ネット媒体でも記事はわずかだし、新聞に至っては壊滅的だ。他府県に住まわれていればその土地のクラブやら、プロ野球のチームやら、そういう記事ばかりが紙面を独占する。当たり前のことではあるけど。

俺の写真も記事も、そうした人たちのために存在する。忙しい人、辛い人、そうした人でもやがて時間ができ、病気が治る時が来る。そうした時に「セレッソが観たい!」と感じてくれるように「作る」という行為を続けていきたい。今は公式の通販サイトも拡充されているし、そこでグッズを購入してもらえるだけでも素晴らしいことじゃないか。


プレーオフ準決勝は、クラクラするような豪雨だった。一万円もするカメラ専用のカッパを着けて、人間様は五百円のカッパで、試合に臨んだ。

最近は、スタジアムの周辺を撮り、座席を確保できたら選手がバスから降りる様子を撮り、キーパーのウォームアップ、フィールドプレーヤーのウォームアップ、控え選手からスターティングメンバーまでを撮って、試合に入るのがルーティンになった(あまり変化がないのはいけないので、試行錯誤は続けているけれど)

オフィシャルのカメラマンさんにとっても、腕の見せ所。

大抵のことに難儀はしない。ただ、バス待ちは人が多いから難しい。選手はうつむき加減なことが多いし、たまには帽子を目深に被っていることもある。だから本来は下から煽って撮るのがいい。だがこれも一概には言えなくて、選手が連なっていると撮れない選手も出て来る。だから最近は、バスから少し離れた再入場口通路から横顔を狙うようにしている。

同じ発想の人は多くて、早めに行かないと同好の士に場所をとられていたりする。俺は女性からすると生理的嫌悪をもよおす風体をしているので、オバ…妙齢のご婦人からの、大きな声での、かつ放送禁止用語を絡めた大変大胆な抗議を受けることがある。たまーにTwitterで熱弁を振るわれる方もいらっしゃる。それでも、撮る。意味があるから。


この日はいつものポジションに明るいご婦人方がいて、これはいけないなと少しズラした位置に陣どろうと思った。ところが、念のため「ここ、いいですか?」と確認をすると、写真を撮るのでしょう?ならば、こっちの場所を開けますよと答えてくれた。信じられなかった。

話を聞くと、俺のブログをよくご覧いただいているということだった。だから、いい写真を撮るためならどうぞ。そう快く言っていただけたのだ。聞いてなお信じられなかったのは、人間不信だったのかな…でも、目の前で起きた出来事は紛れもない事実だ。ご婦人方のためにもいつにも増して力を入れて撮った。どうかな、うまく撮れただろうか。





この日はスタジアムのそこかしこで人に声をかけられた。本当にありがたい言葉ばかりをいただいた。さすがに男子トイレでは面食らったけど、それだって大切な、大事な声だ。ありがとうありがとうと、傾聴させていただいた。まるで藤岡弘、にでもなった気分だった。


前日、舞洲を撮影した時も、ブログを見ていただいているご婦人からお菓子を差し入れていただいたり、よい縁ばかりが立て続けにあった。カメラの神様に愛されはしても、縁結びの神様とはケンカばかりしていたから、驚いてばかりだった。

迷信を信じるたちだから、どうしてこんなことが起こったのだろうと考えた。そうして、きっと慢心を諌めてくれたんだ。そう思うことにした。

俺が撮る一枚の写真で、ひと綴りの文章で、幸せを感じてくれている人がいるのだよ。だから、もっと真摯に打ち込むのだよ。そう、神様のような存在からお達しが来たのだと思うようにした。その方が、写真も文章も前に進むからね。


さて、泣いても笑っても今年の試合はあと一つ、これも神様のイタズラか、ホームキンチョウスタジアムで行うことが決まった。

どれだけ筋肉痛になっても構わない。身体がそこそこ動けたら、それでいい。とにかく、その日に起こった全てを明らかにし、遺し、伝えたい。ああ、もう、死ななきゃいいや。

0 件のコメント :

コメントを投稿