以前の記事がサポティスタに載っていて、カウンターがグルグル回っている。社長さんとのやり取りが何千人という人に知られる事になった。社長には悪いけれど、私としては望む方向に進んでいる。
別に社長の全否定だとか、そういうのがしたいわけじゃない。あの時、身も凍えるほどの悪天候にも関わらず、第二に集まった9千余人のサポーター、選手、スタッフに対して、あまりに失礼だったあの「行為」を、腹立たしく思ったのだ。
昨年、後一歩で優勝を逃した時、誰よりも悔しさを滲ませていたのが社長であった事も、もちろん知っている。だからこそ、尚更「判ってほしい」気持ちがあるのだ。本当に酷い人であるなら、追い込んで追い込んで、お互い神経をすり減らすような日々を過ごしてもいい。しかし仮にも元サッカー選手なのだから、サッカーに対する愛情は当然あるものと信じ、あの記事を書き、追記もし、反応を待っている。
ところで、私の記事の前後を読んでみると、ロッソ熊本やジェフ千葉でも、最終戦の試合終了後、チームスタッフとサポーターの間で、あまり穏やかではないやり取りが有ったようだ。
共通しているのはチームの不振(目標に届かなかったり、以前よりも明らかにチーム力が下がってしまったり)と、それに対して反省の無い(若しくは反省の姿勢をサポーターに示そうとしない)チームという図式だ。
どんなチームでも、ずっといい時期が続くとは限らない。望むもの全てがかなうわけでもない。問題はそんな時、チームが何を、どんな姿勢で行うのか、という事だ。
例えば良識ある人物が何かしら失敗をしたとする。普通ならそれによって被害を与えてしまった人々に謝罪し、何故失敗したのかを検証し、次に二度と同じ過ちはすまいと勤めるだろう。「申し訳ない」と言ったところで命までは無くさない。むしろそうしない事で失うものの方が、ずっと大きい。
しかし上記したチーム関係者は、隠れたり、開き直ったりで、まるでそういう素振りが無い。そうした常識外れの行動を、ストレスが溜まったサポーター達の前ですれば、どういうことになるのか。それさえ判らないところが、余計に腹立たしさを助長させているのだろう。
何故、彼らは、人の感情を逆撫でするような行為に及ぶのか。理解に苦しんでいたのだけれど、
「チームは何をすればサポーターに喜んでもらえるのか判らず困っている」
という知人の言葉を思い出した時に、ピタリとパズルが解けた気がした。やはり「生きがい」としてチームを応援している人間と、「職業」として携わっている人間の意識というのは、時を経るごとに、少しずつずれていってしまうものなのだろう。何かしらの肩書きを持つまでには、それなりの時間がかかるだろうから、トップに近い人間ほどサポーターの感情が判らず、ズレた行動に出るというのも合点がいく。
それを考えると、やはり早期に両者間で話し合える場を持つ事は、かなり有意義だと思う。お互い包み隠さず本音をぶつける。摩擦も起きるだろうが、得るものも多いはず。少なくとも、今のままよりはずっといい。
もしクラブの中で、まだ情熱を持っているスタッフが残っているのなら、是非そのように働きかけてはくれまいか。その時が来たならば、決して無下にはしないし、それをプラスに変えていけるよう、出来る限りの事はする。サッカーを、セレッソを「生きがい」とする者からの、提言と約束。私はまだ、貴方の手の温かさを忘れてはいない。
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