11/10/2008

滅せぬもののあるべきか。

 二日続けてスーパーに買出しに行った。

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 物価が相変わらず高い。キャベツなんか以前自炊していた頃と比べると3割くらい値が上がっている。何でも豊作過ぎて何トン(!)も潰してしまったらしいけれど、そんなことしなくてもいいのになと思う。メシが食えずに難儀している子供もいれば自分で作った作物を潰す輩もいる、この星の不思議だ。


 家に帰ってまたビックリ。家のウラの廃屋の取り壊しが思っていたよりも進んでいて、見事なくらいに瓦礫の山になっていた。

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 この場所もまた、私が子供の頃に住んでいた家のように、いずれすっきりと更地になってしまうんだろう。そしてそのことをみんな知らない間に忘れてしまうんだろう。


 モノにもヒトにも寿命があるのは、なんとなく知ってはいる。家族の死にも三度(記憶に無いものを含めれば四度)立ち会った。それに反抗しようがどうしようが、いづれはぶっ壊れるし、死んでしまう、それも覚悟している。

 ただそれを皆が忘れてしまうのは、あまりに悲しい気がする。かつてここに何があったのか、誰がいたのか、どんなことが起こったのか、それを皆がすっかり忘れた時が、「本当の死」というものではないかとさえ思う。


 このブログも運営しているseesaaがどうにかなれば跡形も無く消えてしまう。それは多分我々が考えているよりもずっと身近な話だろう。書き手の私が死んでも同じで、ここは廃墟になる。そうして皆が少しずつ観るのを止めてしまって、「本当の死」を迎える。何時かは判らないけれど、その時が必ず来る。その時、天国だか地獄だかにいる私は、満足できているのかな。ああ、妙な感情になるくらい、見事な廃屋だったな。

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