12/02/2010

よつばと!どこにでもある、どこにもない日常。

「よつばと!」の10巻が発売されて、当たり前のようにむさぼり読んで、たらふく笑った。そうして、それと同じくらい、たらふく寂しい気持ちになった。
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厳密に言うと、この「寂しい」というのは、日頃オレタチが使っている「寂しい」とはちょっと違う「寂しい」だ。病気を患って、何の希望も持てなかった時、よく元気だった頃の過去の夢や、元気なままだったらたどり着けていたかも知れない明るい未来の夢を見て、微笑んだまま目を覚ました時の、あの感覚にすごく似ている。


よつばと!は話が進むごとに恐ろしいほどリアルになっていくのに、その存在自体は現実と乖離して、余計な辛い思いをそぎ落としていきながら、理想に向かってふわりと浮かんでいく。考えてみると不思議な作品だ。

例えば最初の頃の話というと、個性的な新キャラが出たり、花火を見たり牧場に出かけたり、子どもが絵日記にするような(子供にとっての)ビックイベントがメインになっている。もちろんクーラーで地球温暖化だとか、そういう微笑ましいエピソードもあったけれど、最近のお話は、その平凡さをより正確に描写している。だから、何もなくても立派な一つのエピソードが成立している。


例えば62ページのラストのコマ。マンガであるからにはホットケーキひっくり返しに人生初成功したよつばを、もっとデフォルメして描いてもいい。でも、あの程度の微笑みをとうちゃん目線で描くところで止めている。描く側が欲しているのはキャラとしてのよつばの魅力ではなくて、作品としてのよつばと!の世界観なのだと思う。


カメラ好きとして「あるある」と笑ったのはP121のとーちゃんとジャンボがカメラを選ぶ下りだ。

「一眼にしようぜ」
「小さいのがいいよ」
「じゃーオリンパスのペン」
「ん?どれ?」

これはわからない人にはわからないと思うが、本当にリアルだ。一眼が欲しいというくらい、カメラに興味を持っている人間にとっては、オリンパスのペンというのは「小さいのがいいよ」と言われた時に出てくるギリギリの妥協点なのだ。素子がやたら小さいのもイヤだし、カメラとして存在感がある方がいい。ギリギリ納得出来る素子サイズはマイクロフォーサーズで、候補はパナソニックとオリンパスになる。そしてカメラとしての存在感はよりクラシックなデザインのペンに軍配が上がるのだ。


こうした小さな現実感が丁寧に積み重なっているから、よつばの非現実性、読んだ時の多幸感は特別なのだろう。できればこれからも、ずっとずっとこの日々が続いてほしいと願っているけれど、このキャラクター達はいつか成長し、消えていなくなってしまうのだろうか?昔見たあの夢のように。

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