8/17/2011

凡庸なダービー記事に見る「もうひとつのライティングセンス」

明日から仕事です。うはは、行きたくない。という現実逃避からキヤノンギャラリーのJリーグ写真展を中心に梅田を練り歩いてた。

んで、茶屋町のスタンダードブックストアでチリドッグを食べながらツイッターしているとセレサポとガンバサポが何やら騒がしくて、どうやらこの記事についての批判が大多数な模様。あれだけセレサポとガンバサポが一体になった姿を見たことがないってくらい一致団結してブーイングしてた。
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とりあえずチリドックはうまかった

そもそもタイトルからして「凡戦のダービーに見る「もうひとつのサッカーセンス」」と「凡戦」を頭に持ってきているあたりに「おおっ、あおってるな」という感じがする。例え自分にとって凡戦に写ったとしても、そこから「こうすればもっといい感じになるのに!」って感情がわいてきたら、少なくともこういうタイトルはつけないと思う。
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タイトルづけ、ある意味では成功しているのかも知れない



記事は、ある意味正解で、ある意味全く見当違いだ。

確かに、夏の連戦では試合が間延びしやすい。去年のセレッソが夏場強かったのも各チームともスタミナ切れを起こして、3シャドーへの応対が後手に回ったから。

あの日のガンバにしてもキム・スンヨンが下がって中盤の構成力が下がるとセレッソに対して受け身にまわるシーンが出てきたし、セレッソもガンバの勘所を掴んだプレーをギリギリで止めたというのがいくつもあった。だから「サッカーの試合」を何度もご覧になった(と仰られている)筆者にすれば凡戦と書けるのかもしれない。
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しかし筆者はこの試合をダービーダービーと何度も書いているのにもかかわらず、結局ダービーとして観ていないというミスをしている。だから両チームのサポーターの、試合後のブーイングが試合のクオリティに対するものだと勘違いをして、それを堂々と書けるのだ。


酷い言い方をすれば、ダービーは最も「内容を問われない」試合だ。逆に言うと「結果こそ全て」の試合ということになる。どんなことになっても、相手より1点多く点をとっていればすべてが許される試合、それがダービーなのだ。まあ、ダービーをたくさんご覧になっている方に講釈をたれるのも何だけれど…。

試合前に必死になって応援合戦をするのも、コレオを準備するのも、チームに勝利をもたらそうというサポーターの意思が具現化したものだ。

選手も選手で、この試合ばかりは「負けられない」という意識が体を動かしている。サッカーとてスポーツであるから、勝利が至上なのは当たり前であるけれど、こういう大きな試合は特にそうなる。W杯の3位決定戦が気が楽になった分面白い試合が多くて、決勝が意外に凡戦なのと似ているかも知れない。

だからといって、W杯の決勝に対して「凡戦」と批難する人は少ない。それは試合の大事さを当たり前のように知っているから。


あえて言わせてもらえば、「こういうの」がいい記事と思っている輩がいるうちは、日本のサッカー文化というのは未成熟だ。本当の意味を知って書けるライターが不足しているから、「こういうの」が跋扈する。

どんなカテゴリのライターやブロガーでも、手を抜いてしまうとこういう文章が前に出て、メディアに凡庸な記事ばかりが並ぶことを危機意識を持ってとらえなければいけない。


後出しになるけれど、この試合でセレッソの攻撃の起点として奔走したマルチネスは、疲労と怪我から明日の鹿島戦に出られない見込みだ。それくらいキツイ条件の中で90分間戦っていたのだ。
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ピッチに倒れこんだ選手だって、だれも演技などしていない。サポーターならあの時へたりこんだ選手が勤勉で実直なプレーヤーだと知っている。

あの試合スタジアムにいた人々、選手、スタッフ、運営、サポーター、誰も手を抜いていたとは思わない。あえて一人上げるなら、それは満足にバックボーンや経緯を確かめずにこの文章を公に出した、筆者ではないか?

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