11/01/2015
4-4-2と4-1-2-3ではどう違うんだろうという個人的推察。 #cerezo #photo #diary
とある仕事で別角度からサッカーを調べる機会が多くなった、基礎からシステム論までザッと。基礎はセンターバックってどういう人がするのかというものから、左サイドの選手が左利きと右利きではプレーの幅と種類が変わるとか、そういう細かなところまで。サッカーはズブでオフサイドは名前だけ知ってますという人に、身振り手振りで話をする。
さっきの、左サイドの選手が左利きと右利きではプレーの幅と種類が変わるという話だと、教える相手にはまず守備の選手として立ってもらう。そうして俺が右足でボールを持って正対し、サッと右を向く。そうするとボールは守備の選手からは遠くなる。
ここまで来てやっと「そういうことか」と右利きがカットインする理由を納得してもらえる。左足にボールを持ってそんなことすればすぐにボールを奪われる。だからタテを切られると、ジリジリと横滑りするかバックパスしか無くなってしまうのだ。丸橋祐介が孤立した時によくやるあの動きだ。
一番困ったのはシステム論だ。野球だとピッチャーは必ずひとりだし、外野手も三人だし、どのチームも変わらないのに、サッカーはフリーだ。それに、同じ4-4-2でもマンマークとゾーンでは考え方が違うし。
今年のセレッソでは4-1-2-3、4-2-1-3、4-4-2、4-3-1-2が試された。それで、どうもスリートップは座りが悪い、これはなぜか。選手が約束を守らない?適応できる選手がいない?いろいろと細かいツッコミはいれられる。さあ、ここからが独りよがりの「語り」の始まりだ(笑)
その中でも一番厄介だと私見したのは、スリートップの場合に起こるポジションの固着が、セレッソの「自由闊達さ」と未乳化の状態で据え置かれているところ。
脇道にそれるけれど、乳化というのは水と油、例えばドレッシングのようなものを激しく振るとドロドロの液体になる現象のこと。アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノを作る時によくやるアレだ。セレッソでは選手の意識とシステムが乳化していない。
ディエゴ・フォルラン、カカウがいた時は、彼らは忠実に4-1-2-3のポジショニングを崩さなかった、というか崩せなかった。それほどの運動量が無かったから絶好のポジションで待つしかなかったんだ(だから他の選手が疲れていた、というのは恨み節な)。
現在の4-1-2-3の3には玉田圭司、田代有三、楠神順平、関口訓充、エジミウソン、パブロあたりが入っている。彼らの中で外国籍選手ふたりはポジションを比較的守る傾向がある(エジミウソンは動けないのかも知れないけど)。対して日本人選手は自分の動きやすいエリアに寄っていきやすい。
例えば、楠神の持ち味はドリブルなので、スペースを見つけたらそこにスルスルと入っていく。それが持ち味なのだけれど、だからって右サイドのエリアから出て行くのは4-1-2-3ではご法度なんだ。4-4-2のボックスなら逆サイドの別の選手にカバーしてもらうとかできるんだけど。
そう、4-4-2ではセンターバック、ボランチ、2列目、フォワードと、4つのポジションで同じ役割の選手がふたりいる。だからどちらかがバランスを崩した時にカバーに入る余地がある。4-1-2-3はあまりに完成されたシステムゆえに、そういった遊びというか、保険がかかっていない。この点レヴィー・クルピが志向した4-2-3-1のスリーシャドウとは真逆と言える。ゴールすれば方法論なんてどこかに行ってしまえというサッカーを見続けてきた人間には、4-1-2-3のロジカルな攻撃は異質に感じる。世界のトレンドはこっちなんだけどね。
そう、そのトレンドである4-1-2-3でサイドの数的優位を利用し、相手のブロックを縦横に引き延ばすというパウロ・アウトゥオリの考えは正しい、多分机の上で考えている限り完璧なんだ。でも選手の動きは逐一コントロールできない。徹底的に練磨するには選手の入れ替わりが激しかったし、監督の用兵も固着していた。
さて、残り4試合(多分もうあと2試合増えるだろう)をどう戦うべきか。世界のトレンドと心中するか、それとも選手の戦術理解度に合わせたシステムに退行するか。
今日の試合では4-4-2で入ることが予想されている。相手の熊本はチーム規模で言えば北九州に近いかな、讃岐よりは上だ。このチーム相手に自分のサッカーができるのなら、以降も4-4-2を継続してほしい。今求められているのは欧州の追随ではなく、J1昇格だから。
これくらい書いたら、試合前の暇つぶしコラムとしてはそこそこいけたかな?
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