12/22/2015

しかめっ面の蛍。 #cerezo #セレッソ #セレッソ大阪


2015年の山口蛍はずっと仏頂面だった。長居でも、アウェイでも。特に舞洲は酷かった、ファンサゾーンを行き来する際は、チームメイトと話す時以外は殆ど下を向いて誰とも目線を合わせないようにしていた。

「蛍はさあ、対応悪いんだよ。」

今年の夏、練習上がりのファンサービスを待つ間、結構いい年のおじさんサポーターが、サポーター歴の浅いであろう若い女性に笑ってそう言っていたのを強烈に覚えている。

栃木戦4-1の試合後

彼には、そうなるべくしてなった経緯がある。

2013年のセレ女ブームの時、柿谷曜一朗や南野拓実、杉本健勇、丸橋祐介ら若手たちはその中心にいて、練習が終わってもファンサに1時間以上かかるという日々を過ごしていた。80メートルくらいあるファンサゾーンの端から端までギッシリとサポーターが待っていて、サインの願いを聞き、写真撮影に応え、少なくない量のプレゼントを抱える。それが練習のたびにある。まるでビートルズのメンバーになったような毎日だったろう。


ファンの願いに出来る限り応える。それは、初代ミスターセレッソである森島寛晃氏の言葉だ。彼は彼が載っているゴシップ誌にすらサインを書いた。後輩がそれを途切れさせるわけにはいかなかった。

ただし、「モリシ」を囲むサポーターは(濃いメンツではあったものの)さして多くなかった。香川真司や清武弘嗣でもそうだった。その意味では、蛍や曜一朗といったメンバーは、セレッソ史上最も過酷な状況に置かれていたと言ってもいい。行儀の良いサポーターばかりではない、中には選手の車、その車種やナンバープレートを暗記する者もいたし、食事に出かけたことをどこかで報告すれば、その店に押しかけて騒いだ人もいたようだ。


ある日、蛍はキレた。

練習グラウンドの片隅にある用具入れの壁を叩くほど、冷静さを欠いていたようだ。ファンサゾーンをうつむいて歩くようになったのは、恐らくそこからだ。

それ以来、蛍を撮っても活き活きとした雰囲気は無くなってしまった。誕生日に小麦粉をかけられただとか、そういう特異な日以外は、感情を押し殺したような、仏頂面になることが目立った。J2での戦いを余儀なくされた今年は、その傾向に拍車がかかった。


それをクールでかっこいいという人もいる。けれど、本来蛍という青年は明るい笑顔が似合う好漢だ。仏頂面のペルソナ(仮面)を評価されることは、より一層腹立たしかったのではないか。自身の故障、J1降格、そういう重圧ものしかかっていたはずだ。


J1昇格プレーオフ決勝、福岡に残り3分で負けてしまったセレッソ、選手もサポーターも涙を流した。そんな中でも蛍は、相変わらずの仏頂面でインタビューに応え続けていた。薄情に感じた者もいたろうが、仮面の上にまた仮面を被せるような器用な真似は、役者でもない限りできないこと。あの表情、あのコメントが、山口蛍がセレッソ大阪キャプテンとして演じきれる最大限だったのだろう。


シーズンが終わった舞洲、俺は三度舞洲に行き、二度蛍を見ている。一度はベトナム遠征に参加する若手、リハビリを続ける故障上がりのメンバーとの自主トレで、もう一度は曜一朗が戻った時の自主トレだ。その時に、俺が感じていた仮説がハッキリ補完された。


若手に交じる蛍は、いつも通りのテンションで、キャプテンらしい立ち居振る舞いをし続けていた。一方、曜一朗と練習する蛍は驚くほど明るく、テンションも高かった。今までの軛(くびき)が解かれたように、笑ってボールを追い、キャアキャアとはしゃいでいた。


その頃にはハノーファーとの交渉もほぼ終わっていたのだろう。そのタイミングでかつての僚友であり、親友である曜一朗が帰って来たことで、笑顔のシワもより深いものになったのだろう。


山口蛍にとって、セレッソのキャプテンという役割は不適切だった。残酷な結論だけれど、あの顔を見たらそう納得せざるを得ない。ならば、蛍は檻から解いて、らしく輝ける場所に離してやるのが一番なのかも知れない。


セレッソのサポーターとして希望を残すのであれば、人間はずっと変わり続ける生き物で、蛍も例外ではないということ。いつか、セレッソの蛍であることが相応しい瞬間が来るかもしれないということ。それを信じるしか無い。それまでは、蛍が蛍らしくいられる場所で、蛍らしく活躍する様を見届けよう。


いってらっしゃい蛍。必ずまた会おう。

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