4/09/2008

明日は多分大嵐。

 天気のことではなくて、慣用句的に、明日は嵐になるのかなと…。

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 まあいい年をしているので

「道理の通らぬものは存在すら出来ない」

「間違ったことは正すべき」

 などといったピューリタンのような言葉は吐きませんが、やっぱり

「無理が通るところには無理強いをする」

 という姿勢には我慢がならんのです。人の善意を逆手にとって、あれもこれもとねじ込まれても困るんです。

「相手の事を考えて」

 という自分の事しか考えない人はキライなのです。


 そういうのって自分だけかなと思っていましたが、これが結構いらっしゃるようで、随分と沢山の人から異議申し立てがあった模様。

 何を申したいのかというと、私は今鬱憤が溜まっているのです。それを明日いよいよ吐き出すのです。随分溜めていましたから、きっとすごいのが吐き出されるでしょうけれど、吐き出す先は元々汚れているので、お構い無しでいけるのです。


 話は変わるのですが、全然変わるのですが、日本人の「負け方」特に集団になった近代日本人の負け方というのは、どうしてこう進歩がないのかと思います。

 目に見えずとも肌で感じるヒエラルキーが確固として確立されており、声の大きい人間が上に立つ。下々に課せられるハードルは高い。

「お前がそれを飛び越えられないのは鍛錬が足らないからだ、精神がなっていないのだ、私が出来てお前が出来ないはずはない」

 と精神論。私が出来て貴方が出来ない事、貴方が出来て私が出来ない事、多々ありましょうに。出来る時と出来ない時、その時々があるでしょうに。

「無理が通るところには無理強いをする」

 というのは、些か切ないものです。そうして無理がたたって集団は崩れていくのです、霧散してしまうのです。


 本当に尊敬できる人は、こういう言葉を吐きます。

「やってみせ 言って聞かせて させて見せ ほめてやらねば 人は動かじ」

 だから

「やりもせず 言って丸投げ させて見せ ほめもせずとは 人は動かじ」

 なのです。なになに。

「苦しいこともあるだろう 言い度いこともあるだろう 不満なこともあるだろう 腹の立つこともあるだろう 泣き度いこともあるだろう これらをじっとこらえてゆくのが 男の修行である」

 ああ、御大将、誠に失礼いたしました。

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