セレッソの兄貴分、北海道日本ハムファイターズの斎藤佑樹投手のまわりでちょっとしたフィーバーが起こっているらしい。斎藤投手の練習を見学しにくるのは比較的高年齢の方が多いという。なんでも斎藤投手に「理想の息子」像を重ねているのだと。
それは何とも悲しい話だ。彼の練習を観に来たすべての人が子どものいない不遇な高齢者だとは思わない。中には少なからず、実際に彼と同い年くらいの息子さんがいらっしゃる方もいるだろう。それなのに斎藤投手の方がいいというのだから、実の子とすればどんな気分だろう。
こんな話も聞いた。人事コンサルタントのもとを訪れる新卒採用担当者が、口々に「我が社としては石川遼選手のような即戦力を求めている」と言うのだそうだ。コンサルタントは「彼は特別な存在、そんな人はそうそういませんよ」と言うのだが、聞かない。
人はあるようにある、長所短所があるのが普通だ。斎藤佑樹も石川遼も確かに素晴らしい人物であるけれど、だからといってそうした普通の若者、子供たちがないがしろになったり、あまつさえ非難されるというのはどういうことだろう。そのうち年金を搾り取っていく人たちが、お金だけはしっかり奪いながら、批判だけはするというのなら、どちらが不遇か自明だと思う。
わが子にも短所がある。引っ込み思案でナーバスなところは、ずっと気になっている。けれど、一度も他人の子のほうが優れているからよい、その子のほうがよかったなどと思ったことはない。彼女のことを自慢する機会があるのなら、何時間でもしゃべり続ける自信がある。何といい子を授かったかと、今でも不思議だ。
となりの芝を青いという暇があるのなら。自分の家の庭に、僅かでも愛をまいてほしい。どうか、ぜひ。
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