10/16/2011

憎まれた人にできること。

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落ち込むことが多い気質で、それは自覚しているから、自分なりの「落ち込んだ時の処方箋」を持っている。気持ちが切り替わる場所に行ったり、おいしい物を食べたり、仲間に話を聞いてもらったりすると、すごく心が落ち着くから「あ、これはいかん」という時には、すすんでそういうことをするようにしていた。

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だから、自分も、大事な誰かが落ち込んだりしていたら「大丈夫?」と声をかけたり、食事に誘ったり、悩みを聞いたり…。自分がされていいことをするようにしていた。つもりだったんだけれど、なんか、空回りしていたみたいだ。

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実は客観主観両方の立場から、人間関係が壊れる様子を見ることがあった。

二人の知り合いがいて、その間に深い溝があって、埋まらない。傍目で見ていると、いろいろ善処しようと頑張っているのが見えるのに、それが全て悪い方に取られて、溝の深さが浅くならない。仲間が仲裁に入ってもダメ。キライなものはキライらしい。

で、ああ大変だなと思っていたら、今度は自分の番になった。やっぱり善処しようとしたんだけれど、これがまあ見事に埋まらない。笑えるくらい埋まらない。話を聞くと、そもそもそういう善処がダメなんだそうだ。

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よくよく考えてみるとそれも当然の話。自分が興味を持っていない人間から励まされても何も嬉しくはないだろうし、食事もおいしくないだろうし、話をしたって楽しくはない。気を使っても、よくは見えない。


理屈ではわかるけれど、そういう事実を目の当たりにすると、正直ヘコむ。相手にしても相当ストレスになっていたんだろうなと思うから、お互い様と言うか、相手のほうにスミマセンなんだけど。

そういうよくない繋がりは、無い方がいいように思って、キチンと切ることにした。まだキチンとできていないかも知れないけど、近いうちに、穏便に、メスで切るように、極力血が出ないように、スッと切ろうと思う。

それがその人にできる唯一のプラスなんだろうなというのが、動機。「生類憐れみの令」の徳川綱吉が死んだ時、江戸っ子が赤飯を炊いたって聞いたけど、ことの大小はともかく、そういうアクションでしか、その人をよくできないのであれば、その方がいい。


もう大人なんだから、縁を切る切り方も、うまくするつもり。ただせめて、毒を吐き出すくらいの自由は許してほしいな。これを頭の中に入れておくと、どうしようもなく辛いので。

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