10/16/2010

谷亮子なんて大嫌い。なんちゃって。

谷亮子が柔道家を引退した、らしい。正直確認する気にもならないけれど、もし本当ならいいことだ。国政に関わる重職と日々の鍛錬が必要な柔道家という職業の両立は難しい。無理だ。国会議員一本でも厳しいだろう、本当のところ。出来れば議員も辞めてほしい。


谷亮子とは生まれ年が同じで、学年も同じ。だがとりたてて感慨もないというか、むしろいろいろ腹立たしかったりしていた。ぶっちゃけて言うと大嫌いかもしれない。

まず言うなら、あれで「ヤワラちゃん」では浦沢直樹も浮かばれない。必死こいて可愛いキャラクターを作ったのにその名前を奪われたのが、あれ。Gペンのペン先を自分の頸動脈に突き立ててしまいたくなる。

人が高校受験でヒーコラ言ってる時に、彼女の周りにはバカバカしい程の大人がいて、ウチに来てほしい。いやいやウチこそと言い争っていた。大学受験の時、人がすっかり凍りついた冬の大阪芸術大学の正門を滑らないように必死に登っている3ヶ月前に、彼女は帝京大学への入学が決定していた。キチンと答案に名前が書ければよかったんだろう。就職氷河期と言われた98年には、三顧の礼を受けてトヨタへの入社を楽々と決めた。諸葛亮孔明かよ。

もちろんそうして生きてこれたのは、彼女の柔道家としての天賦の才があったこと、そしてそれが開花するまで努力を続けたことが大きい。それは否定しない。ただ同年代として、敬意はまるではらえなかったし、シンパシーなんてものも皆無だった。


1975年生まれにはビックネームがもう一人いる。12月30日生まれのタイガー・ウッズだ。彼は、素直に尊敬できる。2009年のスキャンダルの前でも後でも、変わらない。何が違うのか自分でも説明がつかないのだけれど、彼が時々受けてきた「迫害」と、それを乗り越えてきた姿。それに対して彼女が時々受けてきた「優遇」とそれに安穏としている姿の差みたいなものが、根源なのかと考えている。もてはやされ、用意された神輿に考えも無しに乗ってしまう軽率さのようなものが、どうしても受け入れられなかった。だから議員になるという話が出た時も、高校時代、大学時代、就職活動をしていた頃と変わらない感想しかなかった「はいはい、勝手にやっていてくれ」


正直な話、スポーツには格差がある。メジャーなもの、国威高揚につながるものは厚遇され、他のスポーツはあおりを受ける。サッカーは今でこそこんな感じではあるけれど、Jリーグがなければ酷いものだったはずだ。もし谷亮子の才能が、異端とされるものであったなら、彼女の人生は今のようなものだったか?やっぱり、嫌いだ。
DSC_328601.jpg


0 件のコメント :

コメントを投稿