このひと月ぐらい、ずっと家で仕事をしていた。別にだらけていたわけではなくて、職場のあるビルが夜10時くらいには閉まってしまうし、そもそもその時間までいている同僚がいなかったから。
仕事の依頼は大抵夜10時くらいに来る。大元が夜8時くらいまで仕事をしていたのを中請に落とし、それがまとまるのが10時くらいなのでこんな時間になるというわけ。それでその仕事をまとめて返すのが夜中の2時、3時。これが一ヶ月休みなく続いたのでフラフラ。夜は仕事が終わればその場で寝られるし、朝はギリギリまで大丈夫だからよかったが、職場でしかできない仕事であったなら一ヶ月帰れなかった、ということになる。それを考えると恐ろしい話だ。
逆に言うと自分が扱っているモノが「情報」という、インフラさえ揃っていればどこででも受けられるし、加工できるし、その場その場で瞬間的に変更可能なものであったのが幸いした。でなければ体が持たなかったはずだ。
なので今日久しぶりに本来あるべき「職場」で仕事をした時のうっとうしさといったらなかった。
まず職場まで「行く」職場から「戻る」という行為がうざったい。俺の場合は自転車通勤で運動も兼ねているし、時々はカメラを持って動く。空堀あたりのお店を探索したり、贔屓のパン屋さんに行くこともあるから、完全に無駄というわけではないが、それでもうっとうしい事この上ない。
スーツを用意して、着替えて、身だしなみを(最低限)整えて、家を出る。夏なら暑いし冬なら寒い、雨や雪が降る時もある。満員電車でヒーヒー言ってる人も多いだろう。普通に働いている人は毎日1時間~3時間くらいを、こんな無駄に使っているのだ!
家に入ればパソコンが立ち上がれば即勤務開始で、パソコンを落とせば勤務終了。気持ちの切り替えが難しいけれど、慣れればこれほど楽なことはない。
あとコンデイションが「ノリノリ」でも「ヘナヘナ」でも勤務時間が変わらないのも少し辛い。気持ちがノッている時は、たくさん仕事をこなしてしまいたい。夜中の何時になろうが朝になろうが。でもダメな時、相手のチェック待ちの時の時間は本当にいらない。寝てしまったりメシを食べていたほうが余程プラスだ。それができない…。
最後に、これは個人的なコトだけれど、家族との時間を多くとれるのも在宅のいいところだった。娘や家内と話をしたり、まっとうな時間に夕餉を摂ったりするのは幸せだった。
もちろん問題がないわけではない。家にこもっているとオフでの人付き合いがどうしても少なくなるので、外的刺激が無くなってしまい、飯の種をとってくるのがなかなか面倒だ。それに上手くやらないとチームを組んで何事かをするのがとても難しい。また売り物が実物、手に取れる物の場合は現品チェックが必要なのでそもそも在宅勤務が無理だったりもする。それを思うと在宅勤務というのはまだ一部の人だけが可能な「特権」なのかもしれない。
ただしもう少し世の中がこっちの方にシフトしてくれれば、この恩恵に預かれる人はもっと増えてくるだろう。もしすべての仕事が在宅でできるなら、自分なら迷わずお願いするところだ。
それと、いろんなモノゴトにとって「どこにいるか」「いつやるか」が大事な要素でなくなれば、逆に「どこ」「いつ」が大事なモノ、例えばスポーツに代表されるイベントなどは、その価値が高まるのではないかと思う。テレビでどこでも観られる、録画していつでも観られるイベントでも、やはり生観戦、参加の魅力というのはとてつもないもので、それを一度知って、ハマってしまった時の凄みというのは、何物にも代えがたい。仕事の都合さえズラせれば、あとはその人の意思次第なわけだし。会社の近所からイベント会場の近くに引っ越してしまっても(モラルどうこうは目をつぶれば)効率的だ。
さて、来週の土曜日は久しぶりに生観戦ができる!待ってろキンチョウ!倒すぞ柏!あ、その前に明日も勝つぞ!ウラー!!
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