5/27/2013

俺たちの求めている非日常は、所詮誰かの日常なんだ。 #photo #diary

引っ越してから三回長居に行ったけれども、三回とも別のルートだ。南海堺、新今宮で乗り継いで、天王寺から阪和線で鶴が丘というのが最初で、次に自転車で行ってみて、先週は実母のいるところから路面電車に揺られて天王寺へ、そこから地下鉄で長居、という道程だった。


もちろん天王寺から阪和線鶴が丘のほうが近いのは知っているが、どうしてもパリーネのパンが食べたくなったのだ。


温かくて穏やかで、小麦の香りがふわりとするパンをたらふく買い込んで、キンチョウスタジアムまで歩いて行く。少しずつユニフォーム姿の人が増えてくる、セレッソの美しいピンクが目立つけれど、名古屋のシッカリとした赤も結構目にする。鮮やかな出で立ちの人が公園に溢れて、それが小さなスタジアムの中に吸い込まれるように集う。


ああ、これは非日常だ。胃をキリキリさせたり、脂汗をかいたりしながら、生きていくために働いている日常とはまるで違う。


でもこの非日常だって、誰か(具体的に言えばセレッソのスタッフの方々)の日常の中から紡ぎだした空間なんだ。それを最近になってようようわかってきた気がする。


自分の日常は誰かの非日常で、誰かの日常は自分にとっての非日常だ。退屈から抜け出したい、苦しみから脱したいと願っても、人間ができることといえば誰かの日常に少し入り込んで、変わった気がして満足する、その程度だ。

それでいいんだ、それでもいいんだ。互いが互いの日常を交換しあうことで補完しあえるなら、それは素晴らしいことじゃないか。忙しい休日でも、安い食事でも、節制する努力でも、分かり合えないことでも、分かり合えたことでも、そのどれもがキレイで代えがたくて忘れられないことだ。


だから、これからも誰かの日常とおのれの日常を交換して、誰かを豊かにし、誰かと笑いあいたい。またたくさんおいしいもの食べて、太っちゃおうか。

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