いろいろなことを書きたい。本題に入る前に、小さな話を二つしようと思う。
まず一つは、仕事で懇意にしていただいている方の話。これを「藪の話」とする。
俺は仕事をもらうために、たまに異業種交流会というものに顔を出している。異業種交流会というのはその名の通り、いろんな職種の人間が顔を合わせ、名刺交換をし、仕事の融通をしあうものだ。自分はこれができる、あなたはそれができる、だからここを繋ぎあわせてあの仕事をしよう、そういう話をたくさん作る場だ。
そこを仕切られている方が、俺とそう年も違わないのだけれど、経験の差はこれが天地ほどもある。バイタリティがあり、決断力があり、そうして、明るい。なので多くの人が集まり、笑い、「輪」ができる。「輪」ができると「和」ができて、そこから仕事が産まれるのだ。
その人は大抵のことには意見をせず、いろんなことを聞くことができる。片意地を張って我を出す俺とはまるで違う。多分器の大きさが違うのだろう。
ただ、その人が一つだけ曲げぬことがある。「事業を起こしたならば、常に拡大せねばならない。」という言葉、それだけは曲げないのだ。年上の者でも、立場が上のものでも、安穏としている人がいれば、時に叱るように、そのことを話す。停滞は後退、後退は死であると、宴席でも必死に話すのだ。それは善意からの警鐘だ。
もう一つの話、これは「芥子の話」としよう。
実母の家の近くに「小嶋屋」という芥子餅屋がある、なんでも千利休がいた時から続いている菓子屋らしい。芥子餅という、餡の入った餅に炒った芥子の実をまぶした餅と、ニッキ餅というシナモンの香りを効かせた餅、その二つだけを130円かそこらで売っている。
この店が狭く、路地裏の日陰にあり、暖簾をかけていなければとても商売をしているようには見えない。一度買いに入ってみると、八畳間くらいの狭い店に人っ子一人いない。奥のほうでかすかに音がするから「すいません。」と声をかけても誰も出ない。もう一度、もう少し大きな声で「すいまぜん。」と言うと、ようやく伏し目がちな老人が出てきて対応をしてくれた。そういう店だ。
しかし、一度食べるとその餅がとてもうまい。これはうまいといくつも食べてしまいそうになるほどうまい。これは店を広げれば、きっと大儲けできるのにと、そう思ってしまうほど。
ところが、その店はさっき書いたように商売っ気がまるで無い。実母に聞くとその日の売り分が決まっていて、売り切れると早々に暖簾をしまって店を閉めてしまうらしい。
さて本題。商売というのは、多分「藪の話」か「芥子の話」、どちらかでなければ並以上の苦労をするのだと、ぼんやりと感じている。広がり続けるか、とどまって自分の操縦が効く範囲から決して出ないか、その二つだ。
セレッソは今、否応なく「藪の道」を進んでいる。柿谷という大きな存在を抱えて、「芥子の道」から引きずり出されたのだ。
キンチョウスタジアムは、「芥子の道」の象徴たる存在だ。16,000人も入れば満員になり、チケットが完売という小さな店だ。この範囲でしか商いをしないかわりに、その商いに乗ってくれた人、サポーターに、今以上の満足を与えようという宮本さんという人物の考えが、あの急ごしらえのスタジアムには詰まっている。
その腹づもりであったのに、それでは足りなくなってしまったのだ。急に人が増えて、追いつかなくなってしまった。長居スタジアムでも、一番空いているのがアウェー席というところまで来てしまった。
右に大きく振れた振り子は、左に戻る時も大きく振れる。柿谷が海外に移籍したり、そうした時にセレッソはその衝撃に耐えられるのか、不安に感じる。
いろいろなものに栄枯盛衰がある。10年前にセレッソを取り上げていた個人のブログやホームページで、残っているのはいくつあるだろう?そうして、今TwitterやLINEでやり取りをしている子らの中で、10年後に変わらず応援を続けている人がどれほど残るだろう?その流れの中で商いをするということは、とても難しい。
だからこそ、あの宮本さんという人は、より盤石な「芥子の道」を選択したのだ。大商いより長く続く商いを、そう考えていたはずなのだ。
確かに今、スタンドが桜色に染まっているのは嬉しい、嬉しいけれど、不安で仕方がない。どうか「藪の道」にあっても、セレッソという桜の木が残り続けているように、それを切に願う。
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