9/27/2006

好きなこと、出来ることからすればいい。

 日本人だからなのか、セレサポだからなのか、まわりに「苦行こそ尊い」と考えている人が多いような気がする。

 そりゃ確かに苦しい事をすると妙な達成感は得られる。実体験したから間違いない。でも達成感のわりに得られるものが僅かだったりもする。これも実体験した。そういう時は餅は餅屋の按配で、得意な人に丸投げが効果的だったりするのだ。自分がヘトヘトになった仕事を、スイスイと片付けられるのを見ていると、ありがたいやら情けないやら。


 それと対を成すように「楽しい事ばかりしていては物事が成り立たない」という事を言う人もいる。

 でも好きだからこそ成し得られたということも、確かに存在するのだ。前述の餅屋さんも、それが好きだから没頭し、専門家たりえるまでになった、というパターンが多い。寝食を忘れて研究に没頭する科学者、筆洗油の匂いが立ち込めるアトリエで眠る画家、四六時中プロットを考えている小説家、傍から見ていると「よくそんな事ができるな」って思うけれど、当の本人はそういう人生が一番楽しいと感じていたりする。


 よくよく考えると、サポーターなんて存在も、かなり変だ。サッカーはスポーツだから、映画やドラマのように、必ずハッピーエンドが待っているわけではない。それを覚悟で決して安くないチケット代を払い、グッズやユニフォームまで揃え、あまつさえ遠く離れた敵地にまで乗り込んだりする。飛んでいくお金、労力、時間は半端ではない。同じチームのサポーター同士でなければ交際もままならない。少子高齢化が叫ばれている昨今では、軽視できない問題である。冗談ではなく、中年サポーターの独身率は平均よりもかなり高いような気がする。

 それに加え試合前から叫び、飛び、旗を振る。試合が始まろうがハーフタイムになろうがタイムアップしようが、それをひたすら続ける。サッカーが好きでなければ、そのチームが好きでなければ、どうしてそれが続けられよう。

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 そう、サポーターってのは基本的にそういうのを楽しいと感じられる「変人」でなければ勤まらない。常人が真似をしようとすれば、たちまちそれは荒行へと変化してしまうのだ。「俺達はこんなに苦しい思いをして頑張ってる」なんて苦労自慢は、サラリーマンの不健康自慢みたいなもんだ。そんな話を聞いても、気分が萎えてしまうばかり…。


 ぶっちゃけて言うと、自分が楽しいと感じるスタイルで応援する方が、断然効果的じゃないかと思っている。辛い事より楽しい事の方が、ずっとパワフルになれる。みんながそんな事をしだしたらバラバラになると危惧する人もいるかもしれないけれど、そういう人達を結びつけて新しい仕掛けを作るのが好きって人も必ず何人か出てくるから、以外にバラケなかったりするし。


 サッカーにしても、適材適所というのが有る。守備のセンスが有るヤツ、何故か相手の嫌がるところをすぐ見つけられるヤツ、チームをまとめるのが上手いヤツ、いろんな特性を持つ選手達の、その持ち味を殺して作ったチームと、逆に伸ばして作ったチーム、どちらがいいチームになれる可能性が高いか、普通に考えれば判る話だ。


 私は、やっぱり後者のサッカーが観たい。贔屓目ではなくて、セレッソにはまだまだいいところが沢山隠れていると思っている。それが十二分に引き出されたサッカーを観てみたい。後ろが3枚でも4枚でも、前が何人になろうと構わない。それが素晴らしいものであれば、納得して楽しい応援をするよ。

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