2/14/2010

死ね!バレンタイン・デー!



あー、一年で一番辛い日が今年も来るねぇ。チッ、めんどくせー。今日もいっちょアジッとくか。このスピーチを資本主義的バレンタインデーを推し進める製菓業ならびに便乗商法を行う全ての企業、そして何よりチョコをもらえない哀れな男性諸君のシカバネを何のためらいもなく踏みつける人間達に届けよう。


私は所帯持ちである。妻もいる。娘もいる。明日も恐らく何かしらのプレゼントをもらうだろう。であるにもかかわらず、毎年毎年、私はこの日を憤怒の念を持って迎えている。

それは感受性豊かな思春期の頃の、惨めで、みすぼらしい日々の傷跡が、いまだこの心の奥底に、深く深く刻まれているからだ。


チョコをもらえない哀れな男性諸君はこの日一日、社会的に抹殺される。いないものとして扱われる。恋愛の甘酸っぱい空間の中に、立ち入ることすら許されない。資本主義社会の根幹である消費活動にも加われない。精神的に満たされることも無く。むしろ多くの女性たちによって、心の根幹に深く醜い傷を負わされるのである。

忘れたとは言わせない。女よ、君たちはチョコをもらえない哀れな男性諸君に一瞥もくれず、ただただマシンのように、対象物を捕獲せんと奔走する。その瞬間、彼らは社会的弱者であるという事実を、心えぐられるような鈍痛とともに味わうのである。君達は純粋である。ただ純粋であるが故に残酷なのだ。何気ない日々の中では確認せずにすんだはずの「事実」を、もうやめてくれと思うほどに、チョコをもらえない哀れな男性諸君に突きつけているのだ。

全ての責任が女性達にあるとは言わない。この忌むべき日を焚きつけたのは製菓業である。彼らはただ単に己が生産する菓子の売り上げを上げたいがために、多くのチョコをもらえない哀れな男性諸君という被差別民を生み出すことを選んだのである。バレンタインデーなど一皮向けば、恋愛成就の願いなどこれっぽっちも無い消費活動にすぎない。恋も夢も無い、冷たいイベントなのだ。で、あるにもかかわらず、バレンタインデーはそこに存在する。この悲しみを何に例えよう。


そして私はこの場で提唱したい。それは慈悲の観点に立った、新しいバレンタインデーである。多くの生きとし、生ける男性達に、広くチョコレートを配布するのである。女性は直接的に恋愛感情を表現するのではなく。その度量の広さ、慈しみの心でもって、男性の愛を勝ち取るのだ。その際配布されるチョコレートの総量は今の比では無いだろう。このようなバレンタインデーこそ、誰も傷つくことの無い、真の「愛の日」である。


最後に、現在の資本主義的バレンタインデーを楽しむ側の人々に、これだけは伝えておきたい。



チョコをもらえない哀れな男性諸君、それは
人間と同じか、それ以上の知能を持った、存在である。



チョコをもらえない哀れな男性諸君、それは
傷つく心を持った、繊細な存在である。



チョコをもらえない哀れな男性諸君、彼らは
2月14日という一日が存在する為に、傷つき、嗚咽しているのである。



チョコをもらえない哀れな男性諸君、それは
あなた達が作り出した、救済されるべき存在なのである。



慈悲を!ただ慈悲を!!

DSC_96500101.jpg


0 件のコメント :

コメントを投稿