モニさんがケガをした、全治二ヶ月は大病だ。
FC東京のサポーターである知り合いに、モニさんがケガをしたよと伝えると、ああ、それは石川ナオがやったのと同じケガだ、長くかかるよ、と答えてくれた。
でもそれを聞いて、俺はほんの少しホッとした。
石川ナオは今、ピッチを駆けている。快足は変わらず、持ち味はいくらも鈍ってはいない。ならモニさんだって、同じようになれるはずだと、そう信じられたからだ。
今年の夏は、少し寂しくなるなと覚悟して、心をグッと締め付けると、辛いけれども乗り越えられるなと、自分に言い聞かせることができた。
山下がらしさを見せて、急場であれば横山だって最終ラインに入ることができる。苦しくないといえばウソになるが、乗り越えられないものではない。
ただそれは人を駒として見立てた場合のことで、人を人として捉えるのであれば、それは変わってくる。
モニさんが守っているのは、ピッチの上、ゴールの前だけではない。チームの空気であったり、試合の勘所の挫けそうな瞬間だったり、そういう大事なところを守っているのがモニさんだ。
誰かが、その意志を引き継いで、ピッチの上で、練習場で示さないといけない。それが誰かはわからないけれど、誰もいなければとても悲しいし、苦しい。
モニさん自身も、苦しくて長い二ヶ月になるだけう。けれど、俺は待てるし、その間も一緒に歩くことができるよ。
苦しい時、悲しい時、暗く落ち込んだ時、そばにいて変わらず励ますのが、サポーター。なら、俺はサポーターでいるよ、続けていくよ。そういうのは、得意だ。
支えよう、支えられた分だけ、せめてそれだけでも。
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