つい最近までは、ただセレッソの選手たちの素晴らしさが伝えられればそれでいいと思っていた。もちろん、今でもそういう基本線は変わっていない。
ただ最近は後半半ばくらいになると、相手の選手、サポーターの絵になる瞬間が現れた時、ついシャッターを押している自分がいることに気がついた。
そうしてもうひとつは、これは「惜しむ」という感情が一番近しいかもしれない。
この試合が終わればそこに居合わせている全ての人間と一度に顔をあわせることなどまず無い。次の年になれば選手も入れ替わるだろうし、サポーターでも全員が揃うことは無い。この日この瞬間は二度とこない。そう思うと、自然と相手の存在、この試合という空間が愛おしく、去りがたい気分になる。だから、シャッターを切る。
サッカーは、相手がいないとプレーできない、サポーターの応援合戦も寂しくなるだろう。11人対11人で激しくぶつかり合うから楽しいし、サポーターどうしも競いあうから、生きているという実感というか、熱いものが込み上げてくる。
それを思う時、相手に対する敬意のようなものがわずかながらも生まれてくる。あの選手はなかなかやるな、この応援は素晴らしい、そういう感覚だ(中にはどうしたって敬意が生まれないチームもあるけれど、それはまたそういう空気感が楽しい、ということにしておこう)
このブログにしても、セレッソのサポーターだけでなく、対戦した相手チームのサポーターでも見られるようなものにできたらなと願う。誰が見ても面白いというのが、写真にしても文章にしても究極だろうと思うから。
最後に、かさねがさねになるけれど、一番はセレッソの活躍だから。熊本ではそういうシーンをたくさん見せてほしい。
最後に、かさねがさねになるけれど、一番はセレッソの活躍だから。熊本ではそういうシーンをたくさん見せてほしい。
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