8/23/2005

ルーブル美術館展でいろいろ考えた。

 日曜日は小雨のぱらつく京都へ行っていました。家内と京都市立美術館で催されているルーブル美術館展が目的。

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 ルーブルというネームバリューの為か雨模様でも中は結構な混み様でした。入り口にはこのような張り紙が…。

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 もうちょっと何とかならんかったのかなぁ…。


 ただ展覧会自体はすごく楽しめるものでした。生でアングルやドラクロワが見れたし、画集や複製画では判らない生の筆跡(≒画家の息づかい)を感じ取られたのは貴重な体験でした。

 個人的にはドラクロワの母子の虎を描いた一枚「母虎と戯れる子虎」が好きになりました。「トルコ風呂」も良かったんですが、緊張感でいうなら断然こっち。オススメです。



 で、絵を見つめながら改めて思ったんですが、「絵画」っていうのは皆がイメージしているほど敷居の高いものではないんですよ、うん。

 写真や映像も無く、交通機関も発達していなかった時代、「絵画」は作品としての側面と、「情報媒体」としての側面が有りました。

 オリエントや南仏、ギリシャやエジプトなど、遠い異国の風俗を描く。はたまた実在の出来事(裁判であったり戦争であったり革命であったり…)の様子を皆に知らしめる為に描く。そんな絵が何枚も有りました。


 もちろんその一方で宗教画や貴族からの依頼で描かれた肖像画も有った訳ですが、近代に近づくにつれて「情報媒体」としてのウエイトがだんだんと増えていった。

 権利も、ある程度の豊かさももった人間が次に情報を得ようとする。今も昔もそういう流れは変わらないんでしょうか。

 それは別に悪い事ではなく、むしろ当然の成り行きなのかもしれませんね。ブログという「情報そのもの」を管理している者として、ちょっと穿った観賞をしていました。勿体無かったかな。




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