9/19/2010

イツナロウバ。

昨日の試合、足りないところがたくさん分かったってのが一番の収穫だった。スタジアムの盛り上げ方だとか、アウェーに対する精神的な圧力のかけ方だとか。嫌悪感を感じるところも多々あったけれど、いいところはどんどん取り込めばいい。

そしてもう一つ、セレッソだからこそできることもある。サポグループの繋がり、サポ同士の意思疎通みたいなものが、少しずつではあるけれど確実に良くなっている。

まだ個々が勝手にすればいい、みたいな気風が残っているのは確かだけれど、それでも最低限繋がらなければいけないという意識が生まれだしている。そこには古参もいれば、新しいサポーターもいる。経験と、素直な発想がマーブルになっている。細かくは書かないけれど、昨日のハーフタイム中にもいい動きがあったらしいことを知人から聞いた。これを続けていけばいい。

負けたのは悔しい。その一方で、まだまだ良くなる可能性を残しているということは喜ばしい現実だ。


少し話をずらそう。プロ野球がまだ「職業野球」と言われていた頃、その存在は忌み嫌われていた。大学野球華やかな頃で、野球でメシを食うのは卑しいという考えがあったのだ。

今プロ野球を観ているオヤジ達の、そのまたオヤジの世代は、そうした逆風の中で、それでも沢村の直球に、影浦のスイングに、夢を感じ、スポーツを育てた。その世代が無ければ、川上も、大下も、藤村も、稲尾も、杉浦も、中西も、野村も、王も、長島もいなかった。興業として成立しないのだから。


今のJリーグを応援していると、その世代の気持ちが、ほんの少しだけわかる気がする。こうして試行錯誤を繰り返しながら、自らが応援するチームの、スポーツのブランディングをする。それは光栄な役目だ。

自分の子や孫が、誇りを持って桜色のユニフォームを着られるように、キンチョウスタジアム(ひっとしたら長居かもしれないし、もっと大きなスタジアムかもしれない)が常に満員であるように、その礎となる役目を果たそう。


まだ何も終わっちゃいない。ひょっとしたら、始まってもいない。これから、これからだ。
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