生野区に住んでると、日本語を話すことが、とても特別なことに感じてくる。
家の前で口喧嘩をしている、聞き取れないと思ったらハングルだった。
自転車に乗りながらおしゃべりしている女の子たち、どうやら中国から出稼ぎしてるみたいだ。
聾学校の生徒たちは、空気を震わせず、手と手で会話をして、笑っている。
俺たちは、同じ言葉を話し、同じチームを愛し、同じスタジアムに集い、同じ選手に声援を送る。
なのに、分かり合えなかったり、憎しみを持ったり、繋がりあえないでいる。
それは、とてもとても悲しいことだ。正しいとか間違ってるじゃない。悲しいことだ。
せめて、セレッソを愛しているその時だけでも、皆が心ひとつであるように、あれるように。
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