11/26/2011

俗人ゴヤ。

少し前にテレビで「着衣のマハ」を特集していた。描いたのはスペイン人、フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテスという、絵が上手いだけの、肉と欲にまみれた男だ。


画家というと、ゴッホのように求道的であった一部の存在のおかげで、とかく尊い職業のように思われがちであるけれども、それは違う。

今の世の中と同じで、昔のゲージツカも、計算高く立ち回らなければ裕福な暮らしなどできなかった。パトロンやクライアントの支え無しにはその日のパンにも困るような存在だった。

例えばレンブラントは「夜警」で有名であるけれど、あれとて集団肖像画としては失格で、いろいろと問題になったらしい。平々凡々とした絵を言われるままにへいへいと描いていないと評判を落としたりするのも、今と変わらない。


ゴヤはそんなドロドロとした世界の真ん中にいる、いやらしい画家の一人だ。権化と言ってもいいいかも知れない。だからこそ憧れるし、心ひかれるものがある。


特にだらしがないのは、女性に対してだ。絵を見ればすぐに分かる。好きな人とそうでない人を、なんのためらいもなく描き分けている。

嫌いな人間は、例え国王であっても、愚かなように描く。歯が揃っていなかったり、とかく品のない表情をさせたりする。

一方気のある女性はどうだろう?透き通るような白い肌、桃のように赤みのさす頬、艶の良い髪、迷いのない瞳、情熱的な肢体。200年経とうがバカが見ようが、どれだけ相手を愛しているか、すぐに分かる。ゴヤが描いた「マハ」達の絵は、本当に美しい。


俺には、ゴヤの気持ちが少しは分かる。好いたものを少しでも美しくあれと、自分が感じたとおりにあれと、薄汚れた心の引き出しの中から、僅かばかりの澄んだ部分をかき集めて形にした、ゴヤの気持ちが。


写真がうまいのでも、人を撮るのが上手なのでもない。好きなものを、好きな人を、そのように見ているのだ。美しく見えているのだから、美しく描ける、それだけのことなのだ。

俺の心の中も、醜くて、薄暗くて、汚らしいものばかりだ。でも、それだけ汚れているから、美しいものを美しいと言えるし、描けるのだ。

これが質問の答えでは、ご不満だろうか。

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