6/02/2012

負けてもいいと思う。負けてこそ得るものもあると思う。 #daihyo

久しぶりの更新で何言ってんだと思われそうだけれど。本音なんでね。


明日から、2014年W杯、ブラジル大会に向けた最終予選が始まる。四年に一度のお祭り騒ぎ、出場するとしないとでは、天地ほどの違いがある。

サッカー協会からすれば、代表の価値が下がるのは死活問題だから、意地でも勝ってほしいと願っているだろう。テレビを始めとするマスコミからの広告収入は、やはりデカイ。

Jクラブにしても、自チームや対戦相手に代表がいることで動員に違いが出てくることも多いから、できれば勝ってほしいところ。サッカー全体の露出も、出られるかそうでないかで、全く違ってくるだろう。

ザックリ考えただけでも、万一敗退などすれば、日本のサッカー界にどれくらいのダメージが加わるか、容易に予想がつく。


それでも言いたい。「負けてもいいよ」と。

負けることで、苦境に立たされることで、はじめて手をつけられることがたくさんある。

日本サッカー協会には未だに学閥みたいなのがあるらしいし、協会からクラブにトップダウンの無茶振りがあることもしばしばだ。正直、変えたほうがいい、変えてくれってところがゴロゴロとある。

それでも「本大会出場」という結果が出続けている限りは、メスをいれることは不可能だろう。負けた時はじめて、ドラスティックな変化を加えることができる。


いい例を出そう。1994年アメリカ大会。日本が「ドーハの悲劇」に頭を抱えていたころ、ヨーロッパでも同じようなことが起こっていた。

俗に「パリの悲劇」と言われているもので、パパンやカントナといった花形プレーヤーを擁していたフランスが、よりにもよってホームのフランス、パリで、多くのサポーターが見守る中、ロスタイムに失点、本大会出場を逃した。

しかし次に開催された母国W杯、フランスは、同じパリで、ワールドカップを初めて手にすることになる。たった4年で、だ。


再建を託されたエメ・ジャケは、才能ある若手を積極起用し、代謝を活性化させた。(その代わり、カントナに代表から退くよう勧めるという血も凍る仕事をしなくてはならなかったけれど)ジダンやアンリなど、移民を祖に持つプレーヤー達も積極的に起用された。

強くなるために、二度と悲劇を繰り返させないために、必死だったのだ。フランスがもしアメリカ大会に出場していなかったら、こんな大改革は出来なかったろう。


今の日本サッカーは、Jリーグが始まった頃、「アメリカに行こう」を合言葉にしていたころに比べて、少し手垢にまみれているように思う。


代表戦は、サポーターも含め皆で戦うものだったのが、テレビの1コンテンツに変わってしまった。

テレビ局が視聴率を稼ごうとあくせくする度に、試合中継自体が陳腐化していって、せっかく選手が頑張っても、その熱を感じることが難しくなっていく。これは、悲しいことだ。

視聴率が取れないJリーグの試合は地上波が激減し、こちらはサポーターのコア化が始まった。敷居が高くなると、なかなかニューカマーを迎えられない。



もう一度、今ある問題と正体し、日本にサッカーが根付くにはどうすればいいか、いい選手を生み出すにはどうすればいいか、皆に愛されるリーグにするためにはどうすればいいか、真摯に考え、改革していく。それは悪いことではないだろう。

代表が結果を出しているからそれでいいと、手付かずになっていた問題。敗北しかトリガーになり得ないとすれば、それはとても辛いことだけれど。


多分余程のことがない限り、今回も予選突破はできるだろう。ただ、未来永劫日本が強いままという保証はどこにもない。ブラジル以外のすべての国は、一度は予選敗退を経験している。日本だって例外ではない。

ならばその「もしも」の時のことを考えるのも、サッカーを愛する者の務めだと、そう思っている。

1 件のコメント :

  1. 歯、、、
    いつまで持ちますかね~笑
    (^^ゞ

    お気をつけて・・・
    フフ♪

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