7/01/2012

清武壮行試合反省会。 #cerezo


昨日は何とか引き分けで、セレモニーもそれなりに感動したんだけれど、反省することも多くて、忘れないうちにまとめておきたい。

反省は、個人的なものと、セレッソというクラブのものと、2つ。


まずチケット招待企画。昼の1時にスタジアムについて、必死こいて場所を探したおかげで、何とかみんな座って見られる環境を作れた。それに、賛同してくれた仲間や知人たちのおかげでタオルマフラーを用意できたり、コールを一緒に覚えられたりして、それはよかったと思う。

その一方で、もう少し何かできなかったのかな、という不完全燃焼な気持ちがどこかにある。


セレッソを観ることで、またスタンドで一体となって感じることで、子供たちの心にインパクトを与えたい。そうしてサポーターになってくれればとてもいいことだし、そうでなくても心に残るものがあればそれはそれでいいし。その機会を、日頃普通より少し苦しい立場にいる子供たちから与えたいというのが、主旨。

それで、セレッソのサポーターやクラブスタッフにも、自分たちが人の心にこれだけ訴えかけられる力を持っているのだということを感じてもらえたら、このセレッソという存在がもっと大きくなれるんじゃないかと、ご大層なことも考えていた。


そのために、俺は過剰なほどにサポーターやクラブを煽っていた。

ただ、まあ、これは俺の人徳の限界なんだろうけれど、それで少なからずの人達に、想いをうまく伝えきれなかったところがあって、それが悔しくてたまらない。

本来誇らしげに感じてほしいことを、邪険に感じてしまうようになったのは、俺の責任。それで子供たちに届けられるはずの善意、温かい気持ちが少なくなったとなれば、この企画の意図は半減してしまう。

俺は裏方に回って、誰か徳のある、ふさわしい人間が表に立ったほうが良かったのかなと思う。


もう一つは、これは昨日スタジアムに来た殆どの人が感じたであろう、クラブの反省。


昨日の長居公園は異様な雰囲気だった。同じ長居で行われたワールドカップの試合、東日本大震災支援のチャリティーマッチも生で観たけれど、あの時ともまた違う、不思議な雰囲気。

4万人近い観衆が集まるのであれば、それに見合う数のスタッフがついていて、列整理だとか、案内とかがあってもいいものなんだけれど、昨日はそんなスタッフが枯渇していて、多くのサポーターと「お客さん」が混乱していた。入場がキックオフ後、という人もたくさんいたらしい。一部のスタッフの機転で入場ゲートを増やさなければ、被害にあった人はもっとたくさん出ていただろう。


ワールドカップもチャリティーマッチも、4万人が集まる前提で警備員やスタッフを動員するし、指示もする。なので、確かに時間がかかるし面倒なのだけれど、観客を確実にコントロールできている。日本対チュニジアの試合、俺は西田辺からダラダラと歩かされ、たくさんのチェックをうけたけれど、流れ自体はいたってスムーズだった。チャリティーマッチでも同様。


うまくコントロールしてくれているという実感があれば、観客は安心する。マナーも守れる(守らざるをえない)。

けれど、放ったらかしになっていると感じれば、殺気立ってくるし、結果として満足度は低いものになるだろう。そうなることは「クラブとしての敗戦」だ。


擁護をするなら、ダービーなど準備期間が長くとれるものであれば、それに向けて用意しやすい。それにサポーターという、意思が汲みとりやすい存在が多ければ、少ないスタッフでもコントロールできる。

バカな話になるけれど、ガンバサポーターの一部が煽るために公園に行進して入ってきてくれるのも、アレはありがたいことなのだ。コアで危険な存在が、決まった時間に決まった電車に乗ってひとかたまりでやってきてくれるなら、それだけをマークすればいい。しかも彼らがやって来るのは試合開始の何時間も前だから、ゆっくりさばけるのだ。


しかし、昨日は開門1時間前くらいからどっと人がやってきて、あっという間にセレッソというクラブがコントロールできる許容範囲を超えてしまった。そうして、集中豪雨で地すべりが起きるように、トラブルが多発した。

それを読み切る、把握するのがクラブの仕事、と言われればそれまでなのだけれど、ではどうしたらよかったのか、悩むところ。


もしクラブがこれからもっと大きな存在になりたいと願うなら、こういうトラブルを防ぐ手立ても考えなければね。チケットを買ってくれればそれでいい、ではリピーターは絶対に増えないのだし。

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